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私の感覚
34歳の私が日々考えていることをサックリと文章にしています☆
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ようこ

  • Author:ようこ
  • 看護学校3年生からお気楽主婦になるまでの私生活のブログです。気ままに思ったことを綴っています。私自身、統合失調症を患っており、病気を抱えながら働くことの大変さを実感しています。2009年6月に第一子を、2015年5月に第2子を出産。今は2歳と小2の息子を囲んでの幸せで大変な生活を楽しんでいます。より多くの人が統合失調症を理解してくれることを願ってます。
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普通の感覚
学校のテスト。
当然学校で習ったことをテストする。
だから100点、とまではいかなくても、90点前後が望ましい気がする。
自分は子供の頃、割とテストの点は良かった。
計算ドリルや漢字ドリル、3~4回は繰り返しやっていた。
図書館で本を借りて読んだりも沢山していた。

でも長男は本を読まないし、国語のテストも半分くらいしかできていない。
そのことを夫に話したら、「自分を基準に考えない方がいい、半分もできているんだから十分じゃないか。担任の先生に何か言われたら、勉強のことは考えればいい」との考え。
ううーん。どうなんだろう。
普通60点以下は「赤点」と言って、やばい点数のような気がしているのだが。
テストだけがすべてじゃないのは知っている。
でも学校で勉強ができないと、授業も面白くなくなるのでは?と少し心配。

塾に通う、という選択肢もある。
しかし下の子も小さいのに、私にそんな余裕はあるのだろうか。
でもこのままでは少し危機感があるし、子供も希望しているので、塾の無料体験教室に参加してきます!!
懐かしい自分が子供時代に教わっていた教室の先生の下を訪れ、相談してこようと思います。
中華鍋
子どもがベイブレードというコマにはまっている。
パーツが3つからなるコマは、組み合わせ次第で長く回ったり、激しい動きで相手を吹き飛ばしたりします。
そのベイブレード専用のスタジアムというプラスチック製のドーム型のものが売られています。
しかしすごく安っぽいつくりのドームなのに2000円近くします。
もったいない気がして、子供にせがまれていますが買ってあげていません。
子どもが中華鍋が欲しいというので、どうするのかと聞くと、スタジアムの代わりに使うと言います。
まだ使っていない新品の中華鍋が眠っていたので、貸してあげました。
少々サイズは小さいようですが、中華鍋独特のカーブがいいらしく、気に入って遊んでいます。
その他には、プラスチックの衣装ケースを使ったりもしています。
子どもの発想力はすごい。
遊ぶことになると、なんでも考え出してしまうのですね。

回復可能であると信じたい
統合失調症は再発を繰り返し、徐々に機能低下していくという記述が古いテキストなどにはあり、ひどいものでは人格が荒廃していく等と表現されているものもあった。
実際、自分が再発を繰り返してみて感じることは、脳神経系が摩耗しやすくなり、少しのストレスでものすごい疲労を感じるようにセットされてしまい、無理が利かなくなったな、ということである。
これは機能低下といわれても致し方ないものかと思う。
そうであるから、私は疲れやすさなどを障害と認め、障害者手帳を取得した。
でもこのまま機能低下し続けるのは嫌だと思う。
少しでも維持したい、向上したい、と願い続けるのは、自然なことではないか。
でも何もしなければ、低空飛行して、いつか墜落するだろう。
私は今、向上するためにしていることは・・・
文章を書くこと。せっせと思いつくたびに文章をまとめ、投稿しています。最近では、女性のひろばと赤旗新聞日曜版に投書が載って、図書カードをゲットしました。あとは新聞のコラムの書き写しを時間のある時にやっています。小筆でちょっとした文章を
つづる練習もしています。上手く書けたときは嬉しいものです。
料理で新しいものを取り入れる努力をしています。今までやったことのない味付けを試してみたり、魚をさばくのに挑戦したり・・・
体力向上のためには、外出時になるべく遠くの場所に駐車するのを心がけて歩くようにしています。
あとは家で子供を抱っこして、その場で足踏み運動したり。足踏みしながら歌を歌うと息がすぐに上がって、運動している感じがします。もう少し余裕ができたら、ジョギング等していけたらいいなと思っています。

年末に向けて少しずつ大掃除もしていかないとな。私に発病前の体力が戻るとは思えないけれど、それに近いくらいの努力をすれば、結果も伴うのではないかなと思っている。
やれる範囲のことをやって、悔いのない人生を送りたいものです。


回復を導く「開かれた対話」について
2015年8月24日付の読売新聞朝刊、くらし面「医療ルネサンス」のテーマはオープンダイアログ(開かれた対話)についてだった。

オープンダイアログとは治療法の一つで、例えば被害妄想や強い不安感などに襲われた人の家へ、看護師、心理士、医師ら2,3人の専門家が行く。そして患者、家族、友人、医療者が同じ部屋に集い、全く対等な立場で話し合う。全員で一時間ほど話し合い、症状の意味を探っていくのである。これを毎日10日前後続けるうちに、患者は落ち着き回復していくのだ。

私自身、発病直前、不眠不休で頑張りすぎ、孤独で先の見通しというか、希望が全く持てない状況に陥っていた。
宗教的マインドコントロールにより、世界が終わってしまう感じがして、ものすごい焦りが生じていた。
とにかく動き回って、休むことができない状態だった。
そんな時、私が受けた治療は、向精神薬の投与だけであった。
一面鉄格子で、プライバシーのない衝立のないトイレ、カギを外からかけられ、布団とペットボトル一本分の水しか存在しない個室。
用事や伝えたいことがあっても、スタッフを呼ぶことのできない造りは、自分の事をさらけ出せる環境とは到底言えなかった。
あらゆることへの忍耐を強いられ、自分自身に殻をかぶせなくては生き抜くことができないと自覚させられる空間であったのだ。

当時15歳。私はまだまだ子供で、大人と対等に話をするなんて難しいことはしたことがなかった。
私は心の傷口にとりあえず蓋をして、取り繕って生きることにした。
新聞記事には次のように記されてあった。
「心が混乱状態の人にとって、一番の薬は孤立を防ぐ人間的なつながり」だと。
その通りだと思った。
精神を病んだ結果、神経が傷つき、その自然治癒力を高めるために薬を使う。
あくまでも薬は脇役で、心の傷には温かな手当てが必要かなと思う。
開かれた対話は裏表のない率直な意見を知ることにもつながり、混乱を生じにくくさせる効果があると私も思う。
人気の度合い。
茨城県に住んでいて思うことがある。
今までに精神科に8か所足を踏み入れてきたが、病院によってカラーがある。
人気があって、予約制で、それでも混み合っている病院。
逆に人気があまりなくて、たまーに待つ程度で、いつも空いている病院、クリニック。
どちらがいいとは一概には言えない。
混むことで受診そのものにエネルギーが必要で、疲れてしまうのであれば、大変だし、通院までにものすごい時間や距離がかかるのも大変だ。
今回筑波大学付属病院から、逆紹介で地元の病院で診てもらおうと電話したら、予約がいっぱいで混んでいることと、以前そこのスタッフだったこともあり、病院側としてやり辛いから他に行ってくださいとエライ人から言われてしまった。
正直断られるとは思っていなくて、ショックだった。
ま、でも混んでいてわさわさしている病院に長く通うのも、長期的に見たら大変だから、断られてよかったとも思う。
替りに、15歳の発病した時に入院した隣の市の病院にかかることにしようかなと思っている。
そこはちなみに予約制ではなく、やっている時間帯に行けば、いつでも診てもらえるというお手軽さ。
裏を返せば、それだけ人気がなくて人が来ないとも取れるのだが。
でもドクターはいい人だった気がする!6年くらい前の記憶では、ちゃんと診察してもらえていたし。
また同じドクターになるか、新しいドクターに出会うかは未知ですが、楽しみにしたいと思います。
3週間後に筑波大を再診して、それで最後になります。

今日は外の草むしりを少ししましたが、暑くてすぐにばててしまいました。
でもやらないとすごいことになっていて、大変なので、少しずつでも頑張らねばと思っています。

なぜ怠薬するのか。
① その薬を飲んでいることで、「効いている」という実感に乏しい。
② 薬を飲む事で、不快な副作用がある。
③ 飲まなかったらどうなるか、を少し試してみたい気がする。

①はつまり、服薬による改善の実感がないために、飲んだのか飲んでいないのか体感で分からず、抜け(飲み忘れ)が生じやすいということです。

②は、私の場合だと、リスパダールなどのセレネース系の薬による、眼球上転発作がとても不快で、それを回避するために薬を辞めたくなってしまうということです。

③は、冒険心の現れでしょうか^^でも思うだけで、止めておいた方が無難ですね。

私は第一子の妊娠後期に転院して、あるクリニックに通うようになりました。
良くも悪くも先生は適当な感じで、深い話はあまりしません。
適当に薬は処方されるものだから、私も薬を適当に飲んでしまう生活が続き、自分で薬を希望したり、量を調節したり、マメな報告を怠る生活が続きました。
今、妊娠出産のフォローで、大学病院で診てもらっていますが、真面目に処方通りの薬を飲み、状態を正確に伝える努力をしています。
大学病院での診察は、あと数カ月もしないで終わり、逆紹介になってしまう予定です。
その際、元のクリニックに戻る方法もありますが、私の中で、ちゃんと気持ちを伝えて新たな患者医師関係を築いて治療を受けたいという想いが強くあります。
だからデイケアでお世話になっていた病院のドクターを希望してみようかと思っています。
怠薬のない生活、頓服の乱用のない生活、処方通りに内服する生活を心がけるにあたって、少しずつ気持ちを入れ替えていきたいです。

今週の処方 エビリファイ(9)、アーテン(2) 朝
         コントミン(12.5)、リスパダール(1)、ハルシオン(0.125)1.5錠  眠前
贈られた言葉(マイフレンドより)
お金を大切にする人は お金に恵まれる。

人を大切にする人は 人に恵まれる。

暴飲暴食などをせず 健康を大切にする人は 健康に恵まれる。
 
仕事を大切にすれば 仕事に恵まれる。


以上、70過ぎのペンフレンドから私に、贈られた言葉である。
私は仕事を大切にしているから、仕事に恵まれているのだな、とつくづく思います。
健康はそこそこ、お金もそこそこで、恵まれているとは言い難い生活です。
しかし人との出会いは多く、人間関係にはとても恵まれている方だなと自分で思っています。

皆さんはこの4つの文章は、心に沁みましたか?
恵まれた生活になるよう、すべての存在を大切にして、今も過去も未来も大切にして生きて行きたいものです。
カレーライスはやっぱり・・・
前回、たまねぎをすりおろして、炒めたものを使用したカレーライスを作成したが、たまねぎ臭くて、美味しくなかったです。(ま、旦那には好評でしたが。)
そこで、今回はたまねぎは抜きで、さつまいも、人参、とりムネ肉、りんごのみで、カレーを作成。
もちろんルウは甘口ですが、出来栄えはさつまいもの甘みとりんごのコクで、さらに超甘い最高のカレーが出来上がりました。
私はカレーにさつまいもやかぼちゃを入れるのが、かなり好きです。
旦那は「カレーはやっぱりジャガイモでしょ!」って人ですが、まあ、これは作る人の特権ですね。
私好みのカレーが、今日の夕飯です。

今日は作業所でベビーリーフの除草と収穫をしました。
昨年はほうれん草を今頃やっていた気がします。
でもなぜか今年はベビーリーフ、その理由を聞いたら、ベビーリーフの方が収穫に手間がかからない上、高く買ってもらえる、とのこと。
ほうれん草は多くの農家さんが作っているから、袋詰めして、店に並べても、ごきげんファームのほうれん草がダントツに売れる、ってことは多分ない。
でもベビーリーフならば…対抗農家が少ないのかな?
しかし私自身、ベビーリーフを店で買うことはないです。
理由は何となく軽い量しか入っていないのに、割高な感じがするからです。
たとえば、キャベツや白菜を買ったほうが、重さ的にどっしりとして、煮ても炒めても、浅漬けにしても、とにかく沢山食べれる感じがするからです。
ケチな主婦根性ですかね^^
ま、なにはともあれ、私自身、ベビーリーフの収穫の技術〈ナイフさばき〉を上げて、ファームの売り上げに貢献できるようになりたいものです。
週3回の通所を、今のところクリアしています。
今後もこの調子で、自分に課したノルマを達成できるよう、体調管理に気をつけて行きたいと思います。
回想~自分のために生きる、とは。
ガチャンー、鉄の扉は閉じられた。
15歳、初の精神病院への入院。
(私は何か悪いことをしたのだろうか)留置所にそっくりのトイレと、布団しかない保護室に入室した私は、鉄格子の外を眺めた。
カメラが私を監視している、「見られていたらトイレできません」とナースに訴えた。
そしたらカメラに紙コップをかぶせてくれた。

そもそも私は精神科というものが分かっていなかった。
高校入試目前にして、勉強に追い込みをかけていた私は、少々寝不足気味でふらつきがあると自覚していたが、まさか自分が精神分裂病の初期であるとは知る由もなかった。
入院と同時に、「薬を飲んで」とナースに言われ、「嫌です」と断ると、「飲んでくれないと注射するしかないんだよ」と返されて、仕方なく飲んだ。
でも得体の知れない粒を身体の中から早く出してしまいたくて、水をガンガン飲み、たくさん排尿した。
薬を飲む意味も分からずに治療されていった私は、次第に(なぜ閉じ込められているの?)という疑問が湧いた。
私が何かやってしまったことに対する罰で、私は入院していなくてはならないのか、と思った。
そんな自分を追い詰め、何で私なんかが生きていなくちゃならないのかと感じるようになった。
大きな圧迫感の中で、小さな勇気を振り絞って尋ねた。
ーー私は何のために生きたらいいのですかーーと。
ふとその女性医師はペンを走らせていた手を止め私の方を向き、「自分のために生きればいいのよ」と微笑んだ。

「自分のために生きる」ということが、どういうことなのか全く理解できなかった中3の私。
あの時、自分の病名も知らされず、薬の説明もしてもらえず、保護室の中でぽつんと一人ぼっちにされた私のような人間をもう生み出さなくてもいいように、私は看護師になった。
しかし働き続けるのは難しい。
あの時辛かった自分を救い出すこと、それが自分のために生きることなのかもしれない。
幸せになるということ
♪しあわせは 何で決まるの 教えてよ
   それは自分の こころが決める 

これは認知症の重いおばあちゃんに、私が涙目で聞いたら返ってきた答えです。
幸せはどんな時にも心が決めるんです。
どんなに貧しくても、どんなに痛くても、どんなに苦しくても、どんなにつらい感じがしても、「幸せだ」と自分の心が思えば幸せなのです。

私は今、とても幸せです。
疲れやすさは、先週よりはだいぶいいです。
動けるようになってきました。
でも急性期を脱し、今は消耗期。
何をするにも億劫で疲れて仕方ありません。
今夜は外出のおかげで、ぐっすり眠れることでしょう。

今日は数年ぶりにあんまんと肉まんを食べました。
美味しかったです。
4つで318円。
2個食べました。
そんな些細なことで幸せを感じる私って、つくづく安上がりな人間だなぁーって思います。
あとは雛あられを食べました。
季節物ですね。
甘いだけですが、気分が味わえます。
ちなみに息子には不評でした(笑)

来週はまた外出か、ステップアップして外泊を検討します。
少しずつ暖かくなり、私の心もほぐれてきました。
ゆっくり、あせらず、のんびりと回復していければなと思います。
それでは皆さん、また来週!