私の感覚 2005年03月
私の感覚
33歳の私が日々考えていることをサックリと文章にしています☆
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ようこ

  • Author:ようこ
  • 看護学校3年生からお気楽主婦になるまでの私生活のブログです。気ままに思ったことを綴っています。私自身、統合失調症を患っており、病気を抱えながら働くことの大変さを実感しています。2009年6月に第一子を、2015年5月に第2子を出産。今は1歳と小1の息子を囲んでの幸せで大変な生活を楽しんでいます。より多くの人が統合失調症を理解してくれることを願ってます。
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仕事
29日に看護師国家試験に合格していたことが分かりました。
私はとりあえず一生懸命やった結果なので、どちらでもそれなりの覚悟はあったが、いざ合格して4月から病院で働き始めるんだ…と思うとドキドキします。
早速病院で就職にあたり説明会があり、書類の準備や一緒に働く仲間との顔合わせがあり、社会人としての自覚が生まれてきました^^
まだどの病棟で働くかは分からないのですが、どこに行ったとしても給料に恥じないだけの働きをしっかりしたいと思います!
はじめの3ヶ月間は「試用期間」といって、本採用ではありません。
その間に病院側は「この人は本当にウチの職員として使えるかどうか」見極めます。
厳しい目ですが、それを越えて本採用になったら本当に社会人としてやっていけるんだと思います。
4月からはしばらく精神的・体力的にハードな毎日が続くと思いますが、体調を壊さぬよう気をつけながら精一杯やっていきたいと思います。
メンタルへルスの集いに参加して
3月19日(土)は有楽町マリオン11階で行われた講演会に出掛けてきた。
午前は「精神障害者と仕事―共に働く場を作る―」という内容でフォーラムがあった。
昨年も今年も厚生労働省の代表の方が、精神障害者福祉の現状と今後の方針について分かりやすく説明してくれるので、大変勉強になるフォーラムであった。
私が影響を受け、考え深めた部分について簡単に記そうと思う。

①国は障害者福祉を知的・身体・精神と分けて、様々な法律で施策してきたが、あまりに複雑で分かりづらくなってしまった。
だから障害者の自立支援を目的とした共通の福祉サービスは「障害者自立支援法」に定めて、一元化する。

②障害者福祉(知的・身体)は支援費制度ということでやってきたが、(精神)だけが何の取り組みもなされないままで来てしまった。
今後はどの障害であっても同様に自立の為の努力が出来る土台を用意していく。
そのために平成21年度を目安に、介護保険に障害者福祉を組み入れる。
そして今まで国や都道府県が担ってきた障害者福祉サービスを市町村に任せる。
そうすることで、よりきめ細やかなサービスが地元で受けられるようになる。

③障害者が働くことを支える…ということを実現させる為に、
 1)障害のある人が普通に暮らせる地域づくり
 2)地域の限られた社会資源の活用
 3)総合的な自立支援システムの構築
などが行われている。
例えば、全く働けない人と、100%フルに働ける人…という区分以外に、(週に2~3日なら働ける、毎日1~2時間なら働ける)といった具合の中間層を作り、それに対するバックアップ機能を作る。
医療⇔福祉⇔雇用の連携をしっかりさせて、就労するまでのハードルの高さを何とかしていく。
失敗してもすぐに戻れる(何度でもチャレンジし直せる)仕組みを作っておけば、安心して「働いてみようかな」という気持ちになるだろう。

以上、私が学んできた概要である。
このフォーラムを聞いて、私は自分の住む町で障害者福祉をデザインする仕事がしたい…と思うようになってしまった。
平成21年度から、いよいよ各市町村に障害者福祉が任される。
それまでに私はその分野の勉強をもっとして、自分の町で福祉の仕事がしたい。
新たな目標が見つかった日であった。

その他今回のフォーラムでは、障害者地域生活支援を実施している和歌山県の寺沢氏、株式会社いなげやで障害者雇用に積極的に取り組んでいる石川氏、代々木の森診療所で患者の就労支援を行い、冷静な目で分析しておられる医師の羽藤氏のお話が聞けた。
また当事者で、現在歯科医院で事務の仕事をしておられる清水氏の話では、就労までの苦労や、働いてみての感想が聞けた。
昨年同様、大変良いフォーラムだった。
午後の特別講演(五木寛之氏)については、また別の機会にまとめようと思う。

妄想と幻覚 ~当事者研究のススメ~
統合失調症の代表的な症状の中に、上記の2つがある。
私は今まで自分にはそれらは起きていないと思っていた。
しかし実際はどうなのだろう。
多くの患者は、妄想や幻覚と思われるものが自分にあったと思うのはどうしてか?
医師が「それは妄想だ(幻覚だ)」とはっきり伝えたから?
それとも自分で専門書を読んだりして、(これが幻覚・妄想なのか…)と勝手に思い込んだから?
そもそも妄想や幻覚とは何なのだろう。
どうして起こるのだろうか。

私は自分の頭の中によく映像が浮かぶ。
たとえば温かな春の日差しを感じて、さわやかな気分で散歩していたとする。
すると何も今想像しなくてもいいような場面が、勝手に頭の中で繰り広げられるのだ。
それが例えば恋愛ドラマのようなロマンチックなシーンが想起されるのならばまだ良いが、私の場合大抵、戦争や殺人事件のような残虐な場面の映像が浮かんでくるのだ。
それはまるで言うことをきかなくなったビデオデッキでテープを再生しているが如く、突然映像が出てきては消えていく。
私の頭の中ではどんなに古い記憶でも、心に強く焼きついている部分はいつでも簡単に再現できるようになっているらしい。
だから平穏な日常生活を送っている時でも、よく身震いのするような恐ろしく冷たい場面が想起され、いつもドキッとさせられる。
そして考えさせられることばかりなので、中々気が休まらなくなってしまう。
私の頭の中に自分の意に反して映像が浮かぶという症状は、もしかしたら幻覚なのか?…と、ふと思った。
幻覚とは教科書的には「現実には全く存在しないものを知覚すること」となっている。
私の場合、今この現実にはまったく存在しないものであるが、以前経験したり、映像で見たものを知覚することが多い。
おそらく私は他人よりも想像する力がありすぎるのだろう。
ただ、私のこの症状は幻覚なのかもしれないが、自分で(あー、また頭が昔の映像を見始めたぞ)と思う感じで、現実と頭で考えている世界との区別がきちんとつけられている。
だから幻覚のよな症状があっても、日常生活に支障はない。
ただ他人よりもちょっと多くの映像を見るので、脳が疲れやすいだけだ。

以前私は「精神看護」という雑誌で、幻聴に悩まされていた人が行った当事者研究の記事を読んだ。
その記事は、私にとってすごく勉強になったものの一つだ。
まず、幻聴はどんな時に聞こえてくるのだろう…と考える。
次に聞こえてくる声の種類や内容を分析する。
すると、その声の内容は自分の思っていることを表していたり、昔言われて嫌だった事が同じような状況に陥ると聞こえてきたり…と、何らかの傾向がつかめてくる。
そしたらそういった声が聞こえた時には、どう対処していったら良いか考える。
もちろん頓服の薬を内服する…ってことも選択肢の一つにあるが、その人の場合は、好きなもの(ヨーグルトやカップ麺など)を腹いっぱい食べるだけでも随分気が楽になると言っていた。
その他、発想の転換をはかるとか、信頼できる人に話を聞いてもらうとか、眠るとか、酒を飲むとか、色んな対処法があった。

私は精神疾患では、特に当事者研究が大切だと考えている。
てんさんのブログでは「病気を治す人は誰だろう…」と疑問を投げかけて、自分が主体的に治療に参加していくことの大切さに気づいていた。
私も自分の気になる症状を取り上げて、(それはどうして起こるのだろう、どうやってこの症状と向き合っていけば良いのだろう…)と考えていくことが、病気克服のための第一歩じゃないかなぁ~と思う。
辛い症状で悩んでいる人は、少し心の余裕が出来た時に、ぜひ当事者研究に取り組んでみよう。
新たな自分が見えてくるはず…♪


生きる希望
私の親戚が今日、自殺をしてしまった。
その人には生きる希望がなかったのだろうか…と考えてしまった。
私にとって、生きる希望は何だろう。
毎日、朝起きて、おいしいご飯を食べて、春を感じて外を歩いて、猫に会って抱きしめて、姪っ子をかわいがって、好きな本を読んで、好きな音楽を聴いて、ゆっくりあたたかい布団で体を休めて…そんな日常生活そのものを私は楽しんでいる。
その自殺してしまった親戚には、そのような日常生活の楽しみがなかったのだろうか。

その人は定年退職後で、毎日家でゴロゴロ…これと言って生きがいとなるような趣味はなく、犬の散歩を毎日しているくらいだった。
ある時、その人は脳梗塞で体が半分くらい麻痺してしまった。
日常生活を送るのにすごく不便な体、毎日毎日何をするにも連れ合いに苦労をかけてしまう…
そんな相手に対する遠慮感に加えて、追い討ちをかけるかのようにかわいがっていた飼い犬が病死した。
その人にとって、生きる希望が次々と失われていってしまったのだろう。
悲しい。

私は母に聞いてみた。
「生きる希望ってお母さんは何?」
「孫の結婚式まで楽しみだなぁ…それにあんたもお嫁さんに行くならば、2人目の孫に会えるかもしれないし。」
そういうものなのか。
生きる希望…日常生活の延長である、何気ないことが、普通に生きる希望につながっていくものなのか…と思った。
日常生活を自立していくだけの力がない…というのは、それだけで生きるのが辛いんだと思う。
ましてや自分が生きるために相手の生活にどんどん負担がかかっていくというのは、耐えがたかったのだろう。
しかし相手はその負担を大変だとは思うけれど、放棄したいとは思っていなかったはずだ。
相手のためにやってやれるだけのことは、精一杯してやりたいと思っていたはずだ。
現にその相手は深い悲しみに陥っていて、時間が止まってしまったかのような状況になっている。

どんなに辛い状況にいようとも、生きていて欲しい…というメッセージを送りつづける相手がいる限り、生き続ける努力をする事が、人間としての思いやりだと思う。
死んでしまったらその人はそこで終わりであるが、残された人はどうしようもない悲しみと後悔でいっぱいで、立ち直れるかどうか心配である。
自殺するのは間違っているとは言わないけれども、思いやりが欠けていると思う。
しかし自殺する人にはそもそも他人を思いやる余裕などないから、辛い状況を終わらせるために自殺してしまうのではないか。

生きる希望…それはみんなにとって、どのようなものですか?

黄色い長靴
今日は長靴の話、パート2です。
昨日・今日と、こちらは雨降りです。
車を運転しない私にとって、交通手段と言えば、自転車・歩き・バスです。
買い物に行くには、大体自転車か歩きなのですが、雨の日は非常に面倒くさいです。
雨がちょこっとだけ降っていたので、このくらいならば普通の靴で大丈夫かな…と思い、買い物に出掛けたのですが、どんどん雨がひどくなり、帰りには靴が中までぐちゃぐちゃでした。
そこで長靴を思い切ってもう一つ買ってしまいました。
899円…格安の長靴ですが、中くらいの長さで、明るい黄色の長靴です。
まるで小学生が喜んで履くようなカラフルな色なのですが、そういうのを何の抵抗もなく喜んで買って、履いてしまうような私です^^
カラフルな物を身につけると、気分までパッと明るくなります。
今日もその黄色の長靴を履いて、実家からアパートに歩いて帰ります!
心の鎖
あの頃の私の心は鎖に縛られていた。
何をやるにも人の目が気になって、自分の行動がどう評価されるか心配で、いつもいつも慎重になっていた。
大人から見たら、あの頃の私は真面目に勉強に取り組み、部活動も精一杯がんばっているイイ子ちゃんだったと思う。

私は物事に対して、精一杯・一生懸命に取り組んでしまう傾向がある。
そのためいくつものことを同時に熱中する訳にはいかず、私は中学時代は部活と学校の勉強に打ち込むことに決めた。
それでも私は器用な人間じゃないので、「部活か勉強か…」と言われれば、勉強を選んで優先させてしまうような子だった。

私は中学の時バレーをやっていたが、先輩方は強かったけれど、私たちの代はすごく弱いチームだった。
顧問の先生は一生懸命に指導して下さっているのに、技術面と実績面での効果が中々上がらず、私たちはよくその先生に「バカになれ!」と言われていた。
私は中学生の時「バカになる」ということは、何を意味しているのかがよく分からなかった。
今なら何となく分かる。
それは…部活動に全精神を集中させ、バレーバカになるぐらい、思いっきりバレーをやろうじゃないか!
他人にどう思われようと関係ない。
もっと勝ったときは喜び、負けたときは悔しがれ!
気持ちをもっとお互いに表面に出して盛り上げていかないと、つまらないじゃないか。
もっともっとバカみたいにはしゃいで、熱中した方がいいんだ!
…という感じの意味ではないかと思う。

あの時の私はバカになれていなかった。
頭でっかちで融通の利かない、カタイ人間だった。
私の心は、常に評価の目を気にしてしまう…という見えない鎖に縛られていた。
色んな人の視線が私に突き刺さり、どんな些細なことでも必ず評価されるという前提により、私は束縛されていた。
次第に心は鎖で複雑に縛られて、ガチガチで身動きできないような状況となっていった。

私の心が鎖から解き放たれたのは、いつ頃のことであろうか…
おそらく15歳、鎖で縛られた心が限界に達していたのが高校入試の直前の事で、統合失調症という「病気」をきっかけにして私の心は自由になったのだと思う。

生きていれば いろいろあるさ。
いつもいつも まっすぐに進めるとは限らない。
どんなにがんばったって、思い通りにならないことはたくさんあるんだ。
だからと言って あきらめることはない。
自分のペースで、自分なりにがんばり続けることに意味があるんじゃないか。
周りの人からどう思われようと、自分のことを一番よく分かっているのは自分なんだから、恥じることなく堂々としていればいいんだよ。
精一杯生きている自分って ステキじゃないか☆ 
ユーカリ
昨日は行きつけの格安フラワーショップで、ユーカリの苗とエニシダの鉢植えを買ってきました。
ユーカリはあの独特の香りが好きなんです。
スーッとして、気分が澄み渡るような感じがします。
小さな苗木ですが、ちゃんと葉っぱをこすると、ユーカリのエッセンシャルオイルと同じ香りがします。
380円でお買い得でした!
でもポット苗なので、すぐ倒れやすいのが欠点かな。
後でちゃんとした鉢を買ってきて、植え替えるつもりです。
エニシダは前から欲しいと思っていたので、店先で210円の値札を見てすぐに買うことを決めました^^
黄色い可愛らしい花です。
全体的にこんもり仕立ててある株立ちがステキでした。
エニシダは殺風景な玄関に飾りました。
何もインテリアのない私の部屋が、少しだけ植物達のおかげで飾ることができました☆

能動的に生きる
能動的…積極的に他に働きかけること。⇔受動的(新明解国語辞典、三省堂より)

3月18日のしゃべり場では、21歳の青年が「社会に出ることは怖くないですか?」という主旨のテーマで話し合いを求めてきていた。
「怖い」という発想は一体どこから来るのだろうか。
その提案者に対して、鋭い意見がまず彼に向けられた。
「社会に出る、社会人として働く…ということが怖いのではなく、人が(人間関係が)怖い…という意味ではないのか?」…と。
彼は意外とあっさり「そうかもしれないです」と認めた。
私が彼の発言から感じ取った「怖い」と指し示している内容は、
①社会の一員として責任ある仕事(つまりフリーターやバイトではなく正社員ということ)につく際のその責任の重さ
②社会に出た時のあらゆる人間関係
③情熱を持ち続け、一生かけてやり通せる自信のある仕事がまだ見つかっていないのに、今すぐ社会に出たら、ちょっとしたことですぐに叱られて凹んで挫折してしまいそう…(やってみて、だけど失敗して夢を諦めるしかなくなった時のことを予想しての不安)
という事なんだと思った。

彼が「怖い」と感じたことに対して、私なりの見方を加えてみたいと思う。

①社会の一員として責任ある仕事に就く際の責任の重さ、これを「怖い」と感じるのは当然の事だと思う。
私は看護師として恐らく4月から病院で働くことになると思うが、新人であろうとベテランであろうと同じ立場にいる限り責任の重さは変わらない。
(しかし、主任→師長→看護部長という立場になるにつれて、社会的責任は重くなる可能性があるだろう。)
例えば、新人ナースの私がダブルチェック(複数の目で確認すること)を怠って、血液型を間違えて輸血をしてしまい、患者様が死んでしまったとする。
これは新人であろうとベテランであろうと許されない失敗で、それなりの責任を負うことになる。
*刑事責任(事件性がある場合に法で裁かれる)
*民事責任(死んだ患者様の家族に訴えられた場合は、その損害賠償を支払うことになる)
*行政処分(恐らく看護師免許の取り消し)
そう考えれば、仕事をしていく上での最悪の事態を考えると、私にだって「怖い」という気持ちはもちろんある。
しかし、いつもいつも失敗した時の責任の重さばかり考えて行動していたら、何事も始まらない…と思うのだ。
今の日本社会では法律上、よっぽど悪意があって凶悪な事件を起こさない限り、死刑になることはないだろう。
だから人は生命ある限り挑戦し続けることができるし、償うこともできるのだから、前進することを恐れる必要はないと思っている。

次に②社会に出た時のあらゆる人間関係についてだが、これは人によるとは思うが、私は怖いとは思わない。
ただ難しい、疲れる…ということだけだと思っている。
今回しゃべり場に出ていた彼に対して、「人間関係を築き上げていく過程を恐れるな!」と言ってやりたいが、もし仮に言ってやれたとしても、やはり彼は人間関係で悩むことは間違いないだろう。
人間関係で同じ悩むにしても、相手に好意を持った上で悩むのと、大して感情を抱かずに、もしくは相手の欠点ばかりを目に留めて悩むのでは、かなり違ってくると思う。
人間関係は難しい、だから疲れる。
だけど相手に好意をもち、より深く理解していきたい…という気持ちをまず自分から持てるようになれば、自然と人間関係は上手く行くようになるのではないか…と思う。
思い悩んだ結果、人間関係が少しずつでも良い方向に進めば、すごく嬉しいと思うし、お互いに気分も良くなるだろう。
このようなことから、人間関係をもつことを「怖い」と初めから思って躊躇せずに、(世の中けっこう話せば理解できる人も多いのではないか…)と考えることで、勇気を出して相手との接触をはかっていく事!
そうして関係を深められるよう、精一杯努力してみることが、ものすごい自分のためになるのだと思う。

③の情熱を持ち続けて、一生かけてやり通せる自信のある仕事がまだ見つかっていない…というような事を彼は話していたが、実際にそういった仕事を見つけて、生き生きと働けている大人は数少ないと思う。
私だって看護師という仕事に情熱はあるし、今後の方向性(なりたい将来像)もある程度決まってはいるけれど、「それを一生かけてやり通せる自信があるか?」と聞かれたら、「ない」と即答してしまう。
なぜならば、私には病気の事も含めて不安要素がいくつかある。
それに気持ち(情熱)は常に変動しうるものだから、途中で夢や目標が大幅に変わることもあるだろうし、予め柔軟性を持たせておき、その都度微調整を加えていったって良いと思う。
ちなみに私はいくつもやってみたいことがあり、そのうちの一つに農業がある。
自然の恵みに感謝して、循環型農業を実践してみたいのである。
これは働いて賃金を得て、生活資金にする…といった職業的農業ではなく、自分自身がより豊かに生きるために、生き方の模索として農業に挑戦してみたいのである。

私はここまで自分の見方を示してきて、明らかに彼と私が違うと感じたことがある。
これもしゃべり場の中で指摘されていたことであるが、彼は無気力だ…ということ。
言い換えれば、彼は能動的に生きていないのである。
彼は自分から何か行動を起こし、周囲へ何らかの影響を与えようとはしていない。
一体どうしてそういう状況になってしまっているのか…。
私が思うには、彼は今まで受身の生き方をし過ぎてきたのではないか。
「受け身(=受動的)」が全て悪いとは思わない。
しかし、受動的に生活することが多くなりすぎてしまうと、自ら考えて能動的に生活することを忘れてしまい、出来なくなる。
「能動的に生きる」ということは、簡単なことのようであるが、慣れていない人にとってはすごく難しいことで、日々の小さな積み重ねがあってこそ、人生すべてにおいて能動的に生きられるようになるのだと思う。

最近の子供たちの生活環境を見ていて、思うことがある。
彼らはきっと能動的に生きることが困難になってきているのではないか…と。
親が塾通いや習い事を(周りが皆やっているから…とか、子供のために将来必ず役立つはずだから…等)と思って、子供にやらせる。
しかし子供自身が「どうしてもやらせて欲しい、ぜひやってみたい」と親に頼んだのならば良いが、親の意志で子供にやらせることは避けたい。
なぜならば、そうやって親をはじめとして、学校、地域社会が子供に期待して「やらせる」ことをした結果、子供たちは周りの圧力に従って受動的に生きることで精一杯になってしまうからだ。
一旦受動的生きることを強いられた子供は、後で子供本来ののびのびとした能動的に生きる姿に戻ろうとしても、ぎこちなさが残ってしまう。

今回のしゃべり場の彼は、今まで受動的に生きてきて、これからは能動的に生きたいと思っているのだけど、なかなかその切り替えが上手く行かず、思い悩んでいたのではないか―
―私はそのように考察した。

能動的に生きること…それは自分のやりたいことをやって、自由に楽しく生きていくことであると私は考えている。
私は今、能動的に生きている。
能動的に生きる…ってステキなことだよ♪
心の重さ
昨日は看護学校の友人と遊んだ時に、自分の病気について話す機会を得た。
本当は学校関係者には病気の事は一切言うまい…と思っていた。
しかし、昨日はカードゲームで負けた人が「ぶっちゃけ話」をしよう(まだ誰にも話したことのないような自分の事や気持ちを話す)ということになり、それぞれが負ける度に、恋話や恥ずかしい話などしていくのだが、私は話すネタに尽きてきてしまい、病気の事を話してみようか…という気持ちになったのである。

「皆が興味のあることかどうかは分からないけれど、ちょっと重い話をするね。
私が看護師を目指したきっかけは…精神病院に入院した時に、看護師が微妙で、私だったらもっと患者の立場に立った看護が出来るだろう、劣悪な病院環境を変えたい!!と思って、看護師を目指したの。」

友達の反応を見たら、意外と興味を持ってくれたみたいだった。
「何の病気だったの?」と意外にもストレートに聞いてくれたので、「統合失調症だよ、高校入試直前に発病したんだ…」と答えた。
皆は「ストレスが多い時期だからね~受験は」と納得してくれた。
それ以上に「幻覚・幻聴はあったかどうか」が興味があったみたいだ。
やはり普通の人には「幻覚・幻聴」という症状が理解しがたいらしい。
しかし残念ながら私にはどちらもなかった。
私は「世界没落体験(この世が終わってしまう感じ)」や「思考伝播(自分の考えが勝手に相手に伝わってしまう感じ)」や、「自生思考(次から次へと考えが湧き出てきて、考えるのを止められない)」「多幸感(めちゃくちゃ幸せな感じ)」「焦燥感」があった。
その他、不眠・食欲不振・頭痛・倦怠感がひどかったと記憶している。

自分の病気を話したら、友人が「私はうつ病で薬(SSRI)を飲んでいたことがあるよ。」と言われ、お互いに病気についての理解を深める機会を得ることができた。
何だ…お互いに本当に辛い事は遠慮して言わずにいたのか…
みんな言わないだけで、それぞれ辛さを抱えて生きているんだなぁ~と痛感した。

私はその実習を1年間一緒にやってきた友達にだけ、自分の病気の事を話したけれど、お互いにこれだけは確認した。
「病気の事は先生や上司には言えないよね。っていうか、言わない方が身のためだよね…。言ったら余計に向こうは不安がって、関係を終了させようとするだろうから。(つまり、迷惑がって学校を辞めさせたり、就職出来ないようにするだろうから)」

悲しいけれど病気に対して偏見があることは事実。
誰にも言わずにひっそり生きていくとすると、自分の心がどんどん重くなる。
だけどそれがベストの生き方なのかもしれない。

私は昨日、友人に自分の事を話せたことで、だいぶ心が軽くなった。
自分を理解してくれる友達は大切にしたいと思う。
日常生活
私はアパートを借りたが、まだ本格的な一人暮らしをするに至っていません。
理由は実家がすぐそばにあるので、食事も風呂も洗濯も全て実家で済ませて、アパートには寝に帰っているだけだからです(笑)
もうそろそろ、ちゃんと新居で料理や入浴をしようか…と最近やっと思い始めてきました
一人暮らしをするって意外と面倒くさいものですね。

さて、昨日は初めてアパートで洗濯をしました。
理由はトイレの水が中々止まらないと思って、蓋をあけたら水が噴水のように溢れてきて、中が水浸しになってしまったからです。
トイレマットも便座カバーも、周囲のものを全部洗濯しました。
トイレの説明書を見ながら、水圧の調節の仕方を覚えました。
電気・水道・ガス…日常何気なく使っているものも、引越しを機会にして料金の仕組みや節約の仕方まで勉強しました。

そして一人暮らしをスタートさせるに当たり、昨日は住民票を移してきました。
今までは親の扶養の下、実家に住んでいたので、自分の身分が「子」でしたが、これからは小さいアパートですが一応そこの「世帯主」になりました。
「世帯主」という響きに、嬉しさを感じました^^
一人暮らしはすぐには慣れないと思うけれど、少しずつちゃんと料理も覚えて、1人でやっていけるようになりたいです。


病むことの意味を考えよう
今日、統合失調症の本を書店で立ち読みしてきた。
私のように治る人は珍しいし、運がイイんだ…という事を、あらためて感じた。
薬にも頼らずに、今はやっていけているし。
幸せ者だな、私は。
でもどうして医師は統合失調症のことを、ああいう解説しかできないのだろう。
100人に1人の確率で生じる病気かもしれないけれど、病むことにはそれなりの意味ってものがあるんだと思う。
私はこれからサークル活動(シンセサイズ)で、当事者の経験を結集させて、病むことの意味をまとめていってみたい。

もちろんこの病気は、脳の機能的変化を伴っており、薬が有効であることは科学的に証明されている。
しかし、そういう脳の状態になった裏には生物学的先天性要因以外に、必ず本人の生き方、人間関係の築き方が関わっているのだ。
現に少数の方が、かのさんのページで「病気になって良かったと思うことは何ですか?」という部分でプラスの意見がいくつか出されている。
統合失調症という決定的な脳の状態に一旦陥ってしまったことは不幸であったかもしれないが、それをきっかけとして人はいくらでも成長し続けられるのだと思う。
 
ある人のページ(http://homepage3.nifty.com/kasiko/death.htm)で、障害はより良い向上心をもって産まれる人に与えられるものだ…という見方が示されていた。
そのような考え方をすると、自分がこの病気になったことで、幅広い人生を送れるようになった訳だし、まんざらでもないと思う。

これからの時代、テクノロジー化が進む中で益々人間関係が困難になっていくことと思う。
そんな中でも、私たち人間らしい精神を病んだことのある者にとっては、病気によって時代の最先端を行く人間の信頼関係のトレーニングを積んでいることになるのだと思う。

人が人らしく生きていくために、精神疾患が時として生じる。
精神疾患(うつ病、統合失調症、アルコール依存症など)は、人として生き方を見つめ直すきっかけになる。
今の時代は便利な世の中だから、必死にならなくても楽に生きていける。
でも人間、楽に生きる程つまらないことはないと思う。
悩んで、苦しんで、生きるのをためらった時があるからこそ、今生きていることがすばらしく感じられるのだと思う。

病気に感謝!
自分の存在意義
3月11日のしゃべり場では、中2の女の子が自分の存在意義について悩んでいた。
私はその子を見て、「生き辛そうだなぁ」と思った。
昔、私も同じようなことを考えていて、誰にも相談できず、一人で悶々として、ついに答えが出せないまま発病してしまった。

その子は「誰かに必要とされることが自分の存在価値なんだと思う」というような主旨で、ずっと意見を述べていた。
誰かに必要とされること…それはたしかにすばらしいことだと思う。
でも若いうちにそういう実感を持つことのできる人は少数だと思うし、誰かに必要とされている感覚を持つことが出来ている人は、とても幸せなことだと思う。

私は自分の存在意義、つまり生きる目的を考え始めたら、いかに自分が何も出来なくてちっぽけな人間なのだろう…と愕然とした。
私は何のために生きていなくてはならないのだろう…と自分一人では答えを出せそうもない難問にハマッてしまった。

私は入院中、医療者とは大した話をせずに、どうしたら自分を正常に見せて早く退院できるか…という事ばかり考えていた。
なので毎回、診察時に
 「眠れていますか?―ハイ、眠れています。」
 「食欲はありますか?―はい、ほとんど残さずに食べています。」
 「何か心配事はありますか?―いいえ、早く退院できればいいと思っています。」
 「薬は飲んでいますか?―ちゃんと飲んでいます。でもすごく眠くなります。」
 「不安やソワソワ、イライラ感はありますか?―ありません。」
そんな感じで、いつも事務的に同じことを質問してくる医師と、事務的に同じような答え方をする患者(私)であった。
だからこれと言って、医師に対する良い印象がない。

ただ一つだけ言われて、深く心に残っていることがある。
たしか私は早く退院したいのに、いつもいつも医師は退院の話をしてくれなくて、イライラしていた日のことだった。
(自分は何で入院していなくてはならないんだ。誰にも迷惑をかけたりしないで生活できるのに!)と心の中で思っていた時のこと。
「私は何のために生きているのか分からない。何で入院していなくちゃならないの?私が入院していたらお金がたくさんかかっちゃう…。もう退院したい。病院は嫌だ…」
と、私は医師に気持ちをぶつけた。
そしたら、サラリと一言。
「自分のために生きればいいのよ。」

私はその時、頭の中が一瞬止まった。
「そうですか」と答え、診察を終えた。
診察室を出た途端、私の目からとめどなく涙が出てきて、どうしようもなかった。

私だって好きで生まれてきたんじゃない。
何で生きていなくちゃいけないんだ。
自分のために生きればいいと言われたって、私には自分のために生きるということの意味が分からない。
自分に自信がない。
自分に生きる価値があると思えない。
何も存在しなかったかのように消えてしまいたい。
―そのようなことを考えた私は、しばらく布団の中で1人で涙を流していた。

しばらく時間が過ぎて、他の患者が私の所に来た。
「どうしたの?泣いていたでしょう。大丈夫?」
そっと声をかけられた。
「もう入院しているのが嫌になっちゃった。退院したいよ。」
と答えたら、その子が言った。
「それはみんな同じだよ。ようこちゃんはまだ入院して1ヶ月でしょ。でも私はもう2年近くになるんだよ。みんな入院したくない気持ちはあるけど、我慢しているの。先生が『退院していいよ』と言ってくれるまで、我慢しているんだよ。ようこちゃんの家は毎週面会に来てくれるからいいよね。私なんて前は月1回来てくれていたけれど、今はお父さんが仕事が忙しくて2ヶ月に1回とかしか来れないんだから。みんな帰りたくて淋しいのを我慢しているんだよ。ね?もう少しがんばってみよう?」
というようなことを言われ、私は我に帰り、弱音を吐き過ぎたと反省した。
と同時に、他の人も同じ気持ちでがんばっているのか…と分かり、勇気づけられた。

入院していた当時は、「自分のために生きればいいのよ。」と言われたことに対して、どうにも納得がいかず、涙が溢れてきたけれど、今ならその医師の言葉の意味が少し分かる。
つまり「自分のために生きればいいのよ…」ということは、「もっと自分の事を大切にしなさい」って事。
自分のやれる範囲のことを、無理しないで少しずつやっていけばいいんだよ…という事だと思う。
私はやっと最近になって「自分のために生きる」ことができ始めてきたと思う。
自分のために生きることが、結果として他人のために生きていることにもつながるんだと思う。

私は自分のために生きることが出来ていなかった昔は、死んでしまいたい(消えてしまいたい)と思うことが、よくあった。
だけど母が「子供は親よりも先に死んではダメ。物事には順序というものがあるの。」と言い、私は素直に(そういうものか)と思い、死ぬことが出来なかった。
自分のために生きることが出来ていなかった間は、心が不安定で非常に辛かった。
物事に対する価値観や考え方に筋のようなもの(信念と言ったら分かりやすいかも)がなくて、何をするにも宙に浮いたような中途半端な自分がいた。
生きることが嫌で嫌でどうしようもなくて、死にたくなることが何度もあったけれど、何とか外からの力(周囲の人のおかげ)で、命を継続させておくことができた。

自分のために生きられるようになるには時間が必要かもしれないけれど、私はあの時に死ななくて本当に良かったと思う。
自分のために生きられている今は、とても幸せだからだ。
化粧
今日は久しぶりに学校の友達とランチを一緒にとった。
色んな話をしたのだが、中でも私は化粧について考えてしまった。

女性は大抵の人は何の疑いもなく、大人になるにつれておしゃれを楽しむようになる。
そのおしゃれの一環として、化粧や髪型、服装に気を遣うようになる。
もちろんそのおしゃれを「楽しい」と思ってやれるならば、どんなに幸せなことだろうか…
残念ながら私には「おしゃれをしたい」という感覚があまりない。
全くないわけではないが、特に「化粧」は面倒くさいし、あえて自分から進んでやりたいとは思わない。
でもこれから私は社会人になるわけだし、病院看護師はサービス業だから、人並みに化粧くらいしていないと失礼にあたるのだと周りに言われ、気が重くなっている。

なぜ私は化粧が嫌いなのか。
まず第一に私には化粧をしているから美しい、化粧をしているからよりきれいになれる、化粧をしないと相手に失礼にあたる…という感覚が全くない。
私は化粧をしていない大人に出会っても、別に何とも思わないし、むしろ厚化粧で化粧くさい人間の方が嫌だと思ってしまう。
それに化粧が上手な人が化粧すればきれいになるのかもしれないが、たかが色のついた粉を顔に塗ったり、唇に鮮やかな色をつけたところで、それがどう「きれい」に結びつくのかが分からない。
肌の色をファンデーションで均一にしたり、まつげをわざわざボリュームアップさせたり、眉毛を細く整えたり、顔の産毛をきれいに剃る必要性が、私には理解できない。
私的には「きれい」というのは「清潔であること」だと思っている。
だから顔に得体の知れない粉を塗ったり、まつげをいじくったり、人工的な匂いのする液体を身にまとうのは気がひける。

今日は思い切って友人に聞いてみた。
「ねえ、私が化粧を始めるにあったって、始めに手をつけたほうがいい部分はどこかな?目、口、肌、まつげ、眉毛…何からやった方がいいかな?」
そしたら3人全員一致で「眉毛」であった。
どうやら私は眉毛が左右太さが違うらしい…
私は1年位前から母に教わり、眉毛の整えようとし始めたのだが、非常に面倒くさくて、中途半端に終わらせてしまっていたのだ。
それが友人の目には奇妙に映っていたらしい。
私的にはどうせ前髪に隠れるんだし、どうでもいいや…と思っていたのだが、意外と目立っていたらしい。
気になっていたなら早く言ってくれればいいのに、皆言いづらかったらしい。
今日は眉毛を指摘されて、私は「右利きだから、左はやりづらいので、いつも手をつけなかったんだよね…」と一応言い訳をしたら、「皆やっていることだから、鏡を見ながらやればできるようになるよ」と言われてしまった。
たしかに私は化粧に対して、努力が足りなかったのかもしれない><
これからは眉毛くらい左右対称になるよう、気をつけようと思った^^

はぁ…大人になるのって、面倒くさい。
出来るようになる事も増えるけれど、そのかわり要求されることも増えてくる。
「どうせなら私は男に生まれれば良かった。私が男だったら、髪の毛はマルコメ味噌の坊やのようにして、おしゃれをせずに気楽に暮らせるのに…」とつぶやいた瞬間、友人が私に言った。
「あなたの性格で男だったら、周りはひくし、男友達もそんなに出来ないし、女の子からも中々好かれないと思うよ…」
おいおい、言い過ぎじゃないか…って思ったけれど、たしかにそうだ。
私みたいな男がいたら、たしかに怖いかも。

今日は色々と友人と話せて楽しかった。
化粧は面倒くさいことに変わりはないけれど、この社会でうまくやっていくために、少しぐらいは努力して、出来るようにならいとなぁ~
さぁ~てと!春休みに勉強することが決まったぞ♪


感覚
私は人並みに成長してきたと思っていたが、よくよく思い返してみると若干周りと違った感覚を持っていたのかもしれない…と思う。

例えば自分の目の前で転んで、泣いているクラスメイトがいたとする。
大抵の子は「大丈夫?」と声をかけるだろう。
でも私は大丈夫?と言ったところでその子の痛さは何も変わらないのだから…と思い、黙ってその子にティッシュを差し出すような人間だった。

あと、クラスの男子が教室で追いかけっこや喧嘩を始めたとする。
大抵の子は黙って見ているか、先生を呼びに行くか、力ずくで喧嘩の仲裁をしたり、行動を阻止しようとするだろう。
だけど、私は追いかけっこや喧嘩をしている相手に対して、「迷惑になるから教室の外でやってきてくれない?」と言っていた。

またファッションにも興味がなく、化粧をしたりかわいい服を選ぶことに全く関心を示せないため、友人との会話についていけなかった。
テレビ番組もバラエティやお笑いは苦手で、NHKニュースやドキュメンタリーなど、現実味を帯びたものばかりを好んで見ていた。
芸能人には全く関心がなく、流行歌もほとんど歌えず、友人と話をする共通の題材がほとんどなかった。

そんな人間であったから、やることといえば学校の勉強と、習い事と、中学に入ってからは部活(バレーボール)ぐらいであった。
今思えば、随分と狭いレールに乗って、つまらない生き方をしてきたものだ…と感じる。

私は病気になる前、他人も自分と同じような考え方をするものだと思っていた。
でも実際は違くて、私は珍しい考え方をする(感覚を持った)人間だったのだ。
それが分からなくて、随分と生き辛さを感じてきた。
それが発病をきっかけとして、私は周りと違うんだ~と自覚できた。
そのことで、他人と付き合う時に、大切なことは全部言葉にしないと、私の場合は特に伝わりにくいんだと知った。

私の「感覚」は何でこんなに人と違うんだろう…
育った環境、生まれつきの脳の要素、生活習慣など色々と原因はあるのだろう。
でもそれが私なんだから、うまくやっていくしかない!!と、今は思っている。
私は病気になって、ある意味救われた。
100人に1人の確率で、自分と似たような感覚の違った人間がいるのかもしれない…そう考えることで、人間関係を築くのを諦めずに出会いを大切にしていきたい、と思うようになった。
理解者
今日はデートをしてきた。
私は在学中、自分の勉強でいっぱいいっぱいで、相手を思いやる余裕がなかったことから、誰かと付き合うことを控えてきた。
でも学校卒業を目前として、何だか急に彼に会いたくなったので「遊ぼう!」と久しぶりに誘ったらOKの返事☆
今日は偕楽園と千波湖(茨城の観光名所です)を散策してきた。

私は歩くのが好きである。
1・2時間くらいは平気で歩き続けられる人だ。
歩いて歩いてクタクタになって、夜は風呂にざぶんと入って眠りに就くのが、最高に幸せだと私は思っている。
でも今日はずいぶん歩いたはずなのに、全然クタクタになっていない。
何でだろう…

ふと、思った。
孤独で歩く1時間と、理解者がそばにいて一緒に歩く1時間とでは、疲れの感覚が違ったものになるのではないか…と。
よく分からないが、幸せを感じた1日であった。

私は学校の友達にも先生にも、病気関係の事は一切話していない。
もしかしたら話せば理解を示してくれるかもしれないが、敢えて自分から面倒くさくなるかもしれない行動を起こそうとは思わない。
でも自分を効率良く相手に理解してもらうためには、「統合失調症」という病気をキーワードにして話した方が、説明しやすいのだ。
私という人間は、この病気を軸にしないと語れない。
そのくらい私はこの病気のお世話になっているのである。

   ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

私は昔から周囲と感覚が少々違った子であったような気がします。
自分が当然のように考えていることが、大多数の子にとって理解しがたいことだったり、全く思いもしない事だったりしていて、逆に子どもたちの中での一般常識(?)が私には欠けていました。
そのことで私はずいぶんと生き辛さを感じてきました。
その生き辛さは年を重ねるごとに増していき、ちょうど私が15歳の時にその生き辛さが限界に達してしまったのだと思います。
私はその限界の状況でも中学校に通い続け、大好きな学校の中で精神を病んでいきました。
しかし私が学校を愛し続けたことで、すてきな先生方とめぐり会うことができ、1年遅れでも何とか挫折せずにその後進んでくることができました。
そのことに関しては自分は運が良い・恵まれている…と感じています。

私が入院していた時に、もう精神病院に10年近くかそれ以上入院していて、退院したくても受け皿がないために一生を病院で過ごすしかないような人を数多く見てきました。
15歳の世間知らずの私が見たその精神病院(閉鎖病棟)の光景は今でも忘れられません。
あの入院生活から私はいつもいつも「自分はどう生きたら良いのか」を自問自答し続けてきました。
もしかしたら、そんな世界は知らなければ通り過ぎていたかもしれないけれど、私は見てしまった…
自分には「いつでも私が退院したら、元の生活に少しでも戻れるように力を貸してくれる家族」がいたけれど、そういう理解者がいない場合は、社会復帰はかなり厳しいものになるに違いないと思いました。

「理解者」の存在、これはすごく大切にしたい。
私は今日デートした彼に、理解者になってもらえたらすごく嬉しいと思っている。
私はこれから精神科看護を目指していく中で、どの患者にとっても「理解者」となれるように、日々人間的に成長していきたいと思っている。


気を抜くこと
昨日から数人の友達と卒業旅行に出掛けていました。
行き先は温泉のついているホテルです。
交通手段はバスと電車を使ったのですが、意外と長旅で疲れました。
旅行自体は楽しくて、友人とも色々話が出来て、かけがえのない時間を過ごせたと思っています。
昼寝もしたし、夜はぐっすり熟睡していたのに、なぜか帰りのバスや電車の中で私はぐったりしていました。
私は極度に疲れているときはもちろん睡眠を取るのですが、睡眠を取るほどではない疲れの時は、よく気を抜くことをします。
「気を抜く」というのは分かりづらい表現かもしれませんが、つまり周りの人から見ると「魂が抜けているような状態」で、自分では「無心になること」だと思っています。
気を抜くにはちょっとしたテクニックがあって、それをマスターしたことで、私は脳の疲れを効率良く取れるようになってきた気がします。
気を抜く前にはもちろん色んな事を考えているのですが、それらを一旦全て忘れます(意識的に頭の中から除去します)。
すると自分が空っぽの人間になれて、脳の活動を抑制若しくは静止できます。
「気を抜く」事が出来るのは、安心できる人がそばにいたり、安心できる場所にいる時に限られますが、それでも気を抜くことが出来るようになると、日常生活がすごく楽になります。
これからも時々は気を抜いて、楽に生活していけたらいいなと思っています☆

命のりレー
今日は姉に赤ちゃんが生まれた。
早速会いに行ってきたが、とってもカワイイ。
赤ちゃんは無意識に(?)自然に笑う。
これを専門用語では「新生児微笑」というらしい。
本当に可愛らしくて、赤ちゃんが笑うと、私も頬が緩んでしまう。
赤ちゃんの存在だけで、周りの空気がやわらかく温かなものになる。
赤ちゃん…命が誕生するって、すごい事なんだと思った。
姉は一仕事終えた疲れのためかぐったりしていたが、とても輝いて見えた。

今日ここで命は誕生したが、また他の所では命が消滅していく。
命が誕生することは、すごいエネルギーを伴うことである。
また命が消滅することは悲しいことであるが、その人・動物が「生きていた」ということに変わりはない。
「生きていた」という事実を遠い過去のことにしてしまうか、それとも自分の心の中に刻み込んでおき、いつでも思い出せるようにしておくかで、その命の在り方が決まってくる。
私は今まで出会って、消滅してしまった命のことを大切に心にしまってある。
いつでも思い出せば、その命との思い出は私の心の中を温めてくれる。

「命のりレー」を皆で続けて、温かい世界をつくりましょう♪
卒業して…
昨日は卒業式と謝恩会がありました。
多くのナースやドクターが雪の降る中、来て下さりました。
また、先生方からも嬉しい言葉をいただき、とてもすてきな時間を過ごすことが出来ました。
本当に3年間の充実した日々を思うと、幸せいっぱいです^^
「雪の降った卒業式は初めてよ!」と担任の先生が言っていました。
私たち皆の心に残る、すばらしい一日となりました☆

そして今日は、卒業後の荷物整理に学校に行ってきました。
更衣室を掃除していたら、無心になることが出来、気持ちがすぅーっと落ち着いていきました。
私は掃除することが大好きです。
今日はお世話になった場所を、とても美しく(?)仕上げてきました。

職員室に寄ったら先生が2人いて、お話してきました。
私は看護学校ではあまり先生と深い話をする機会をもてなかったのですが、今日は不思議と色々としゃべってきてしまいました。
先生に今日言われたことは、「もっとあなたが思っていることを話してくれないと、あなたがどんな考えをもっているのか相手には伝わらない」という事です。
確かにその通りだ!と気付かされました。
私は相手に自分の事をあまり話しません。
別に話すのを嫌がっているわけではなくて、聞かれないから話さないのです。
相手が聞きたいと思っていることは話すけれど、相手が知りたがっていなければ、あえて自分の事は話しません。
私はそういう人です。
だから私は今日先生に言われたことを、どう受け止めていいのかまだ消化しきれていません。
色んな人がいるので、人と関わるのは面白いけれども、難しいです!
看護学校は卒業しましたが、先生方がいつでも何かあったら来ていいから…と言ってくれているので、すごく嬉しいです。
これからも先生方と色々話をして、少しずつ私のことを知っていただけたら嬉しいなぁ~と思います。

今日は充実した1日でした♪

一人暮らしを考える
一人暮らし…本当は3月1日から布団を運んで、アパートで生活を始めようと思っていた。
でも実際は卒業式の準備などで、引越しがほとんど出来ない状態であった。
やっと室内の掃除をひと通り終えて、大家さんに都合の悪い部分を直していただいた。
これから生活用品を買ってきて、自分の荷物も運ぶところである。

チラシを見ながら、電化製品の値段を比べたり、買い揃える優先順位を付けていく。
部屋の間取りを書いて、適切な生活空間をイメージしていく…
引っ越したら毎日どんなことをして過ごそうか…
料理は何に挑戦してみようか…
友達はいつ呼ぼうか…
お風呂の入浴剤は何を使ってみようか…
「引っ越しましたハガキ」は誰に出そうか…
色々考えているだけで、とても楽しい。
これからの生活、自分の好きにしていけるんだ。
よく他人からは「何で実家がそんなに近いのに、アパート暮らしするの?」と不思議がられます。
でも私は一人暮らしをしてみたいのです!
誰でも一度ぐらいは一人暮らしに憧れるのではないでしょうか^^

「一人暮らしをすると淋しいよ~」と言われますが、私は普段の仕事や遊びで他人と一緒になるのだから、家に帰った時ぐらいは一人の方がゆっくり出来ていいかなぁ~と思っています。
でも実際に一人になってみるとやっぱり淋しいのかなぁ…

今日はこれから卒業式と謝恩会があります。
これが終われば、のんびり春休みを満喫できることでしょう。
引越しにも気合いを入れて、チャッチャと終わらせて、新居でホッと一息つきたいと思います。
からだの調子
昨日は最高に調子が悪かった。
卒業式を前にして、知らず知らずのうちにストレスがたまってきているのだろうか…
とにかく調子が悪かった><
脳が暴走する一歩手前で、発狂しそうだった。

朝起きると、体がすごくダルダルで、でも「学校に行かなきゃ~やらなきゃいけない仕事があるんだっ!」と思って不機嫌な顔して身支度を整えて、学校に行っていました。
学校に行っても、気持ち悪くて、お腹が痛くて…
仕方なく市販の鎮痛薬を飲んだら、すごく眠くなってしまって、ボーっとしていました。
何とかダマシダマシ体をもたせて1日終えると、夜には脳がざわついていました。
「これは危ない」と思って、昨日はパソコンをやらずに、日記も短めに終わらせて、9時には布団に入りました。(いつもは11時や12時に寝ます)
おかげで今朝は幾分調子は改善されましたが、まだしんどさが残っていたので、鎮痛薬を飲んで学校へ行きました。
薬のせいか、脳の疲労のせいか分かりませんが、今日は思考のフィルターに膜が張られたようなボア~っとした感じがあり、クラスメイトにも「調子悪そうだね…」と心配される程でした。
しばらくすると鎮痛薬が効いていて体を休められたおかげか、やっと夕方になって元気が戻ってきました。
脳の調子の悪さも大分落ち着きました。

今、調子が悪かった原因を考えると、「排卵日」が関係していたのかもしれない…と思います。
(女性にしか分かりづらい話ですが)月経の始まる14日前に多くの女性は排卵日があります。
女性は排卵日を境に体温が上昇し、プロゲステロンというホルモンが多めに出されます。
私の場合はその排卵日に体調が崩れやすいのです。
軽い腹痛や吐気が出て、疲れやすくなったり、気持ちが不安定になったりもします。
体温が排卵日を境に上昇するので、寒気を感じたり、急に火照ったりもします。
そして排卵日を過ぎて14日後にぴったり月経が来ます。
女の人の体って不思議ですよね…

つくづく月経周期によって体調が決まってくる女性の体は面倒くさいなぁ…と思います。
男性は性周期で辛さを感じたり、感じなかったり…ってあるのでしょうかね?
男性は月経がなくて楽で羨ましいですが、今更男にもなれないので(笑)、何とかこの自分の体とうまく付き合っていくしかないんですよね…
はぁ~女性の体を上手く自己管理できるようになりたいデス!

カラーコピー
今日は初めてコンビニで写真をカラーコピーをしてきた。
家のかわいいペットの写真を切り張りして、アイディアレターに
しようと考えたのである。
まあまあの写りで、大変満足している。
カラーコピーは写真と違ってすぐに大量生産できるし、焼き増しよりも安上がりだ。
(B4サイズだと一度に8枚ほどの写真をコピーできるので)
それに紙に印刷されているので、切り張りしてもそんなに厚くならないので素晴らしい。

手紙はいつもいつも同じ便箋を使っていたのでは面白くない。
きれいな広告をとって置いて、切り張りするのも楽しい。
また、写真のカラーコピーを活用しても良いし…
手紙はメールと違って、色んな工夫が出来るから好きだ。
切手をどれにしようか選ぶのもまた楽しい。
きれいな切手が旅行先の郵便局で売られていたりすると、つい買い求めてしまう☆
季節や相手の好みを考えて手紙を作るのは本当に楽しい。
意外と金のかからない趣味なんだな、これは。