私の感覚 2005年04月
私の感覚
35歳の私が日々考えていることをサックリと文章にしています☆
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ようこ

  • Author:ようこ
  • 看護学校3年生からお気楽主婦になるまでの私生活のブログです。気ままに思ったことを綴っています。私自身、統合失調症を患っており、病気を抱えながら働くことの大変さを実感しています。2009年6月に第一子を、2015年5月に第2子を出産。今は2歳と小2の息子を囲んでの幸せで大変な生活を楽しんでいます。より多くの人が統合失調症を理解してくれることを願ってます。
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最近ぬかみそ事情
理想のぬかみそは、朝に晩にかき混ぜること。
しかし最近私は、数日ぬかみそを放っておいてしまった。
仕事が忙しくて、疲れていて、ぬかみそたちを思いやっている余裕がなかったのだ。
今日、3日目にして恐る恐る蓋を開けてみた。
良かった!!!まだカビは生えていない♪
かき混ぜて、古くしわしわになったきゅうりを取り出した。
きゅうりの古漬けも、まあまあ複雑な味がして美味しく食べれる。
ややしょっぱくて、塩分取りすぎになってしまう可能性も否定できないが、たまにはよしとしよう。

ぬかみそは生き物である。
これからも大切に育てていこうと思う☆
人間関係論
私はなぜこんなに疲れやすいのだろう。
昨日の仕事も終った後ぐったりで、一刻も早く布団に倒れこみたいような状態だった。
今日は準夜勤なので、またまた疲れることと思う。

私は人間関係が苦手だ。
「苦手」の理由は、おそらく大多数の人々と感性・感覚が著しく違っているので、その違いがコミュニケーションでの難しさをより感じさせているのだと思う。
私が「苦手だ、疲れる」と感じているということは、私と向き合ってくれる相手も「苦手だ、疲れる」と思っているに違いない。
プリセプターの先輩が、私への接し方や仕事の教え方でとても悩んでいるのが傍にいてよく伝わってくる。
そんなに悩まずに、先輩が思った通りに教えてくれて、思ったことはためらわずに言って欲しいと私は思うのだが、中々先輩は言ってくれない。
先日、初めてちゃんと向き合って話す機会があったのだが、まだまだ先輩は遠慮したり悩んだりして、私に思っていることをストレートに言ってくれていないような印象を受けた。
私は元来がさつで、いい加減で、何でも思ったことはすぐに口に出して言ってしまうような子で、先輩とは正反対のような人間だ。
だからこそ私よりも先輩の方がより悩みやすいんじゃないかと思う。
結局、何が言いたいんだか分かりにくい文章になってきてしまったが、つまり私は先輩に対して何らかの方法で自分の性格を・希望を伝えていかなければならないんだと思った。
そうだ…先輩に手紙でも書いてみようか~。
今日は鍋を買ってきた。
今までご飯を炊くのに、18センチの片手鍋で炊いていたのだが、2カップ炊くのにいつも吹きこぼししてしまうので、一回り大きいものを買ってみようと思い、ディスカウントショップへ行ってきた。
20センチの両手鍋が880円で売られていた。
よく見ると底が厚手の3層構造になっていて「焦げにくい」らしい。
それにふたの部分に一回り大きいくぼみがついているので、「吹きこぼれにくい」らしい。
値段といい、機能といい、一目見て気に入ってしまい、早速それを買って帰った。
明日の朝は、新しい鍋でご飯を炊こう。
上手く炊けるといいな^^
小学校3年生
私はO先生のクラスだった。
O先生は体重100㌔を越す、大きな先生だった。
O先生のお腹はふかふかしていて、休み時間には先生のお腹を触りに行ったり、上に乗っかったりしていた。
とてもおもしろい先生で、ビデオをよく私たちに見せてくれた。
勉強では手作り漢字テストを毎週作って、私たちが全員100点取れるまで面倒を見てくれた。
O先生は自ら体罰を下すことはなかったが、忘れ物や遅刻が多いと、黒板の前で壁倒立をするように言われたり、生徒が自分から黒板に頭をぶつけるという罰があった。
でもその罰は密室で行われる暗いものではなく、みんなが温かい目で見ている中で、それぞれが自分の行ったことを自覚して罰を受けていた。
O先生は私たちのクラス担任になってすぐに、ビデオを見せてくれた。
そのビデオには、O先生が前に受け持っていたクラスが長縄を3分間で400回跳んでいる様子が映っていた。
3分間に400回ということは、1秒間に2回以上は縄を回さないといけない。
かなり早いスピードで次々と生徒が縄を回し、跳んでいく姿を見て、私たちは呆気にとられた。
それからと言うもの、私たち3年4組は休み時間や体育の授業になるとすぐに外へ出かけて、クラスみんなで長縄の練習を始めた。
来る日も来る日もひたすら長縄を練習して、いつもストップウォッチ片手に3分間で何回跳べたか数えていった。
始めは女子は50回くらいで、男子は70回くらいしか跳べなかった。
でも日に日に上達していって、350回近くまで跳べるようになった。
私たちのクラスは、「長縄で3分間に400回跳ぼう!」という共通の目標の下で、日々一致団結していた気がする。

でも結局目標の400回には及ばなかった。
私の大好きだったO先生は12月に亡くなってしまったのだ。
信じられなかった。
死んでしまうということの実感が乏しかった私は、今は直接先生には会えないけれど、そのうちまたひょっこり会えるような気がしてならなかった。
初めて経験した身近な人の死…
「死ぬ」ということはどういうことなんだろう。
もう会えないのかなぁ…
ちょこっとだけ先生の思い出に浸ったけれど、後は元の日常に戻っていった。

人が死ぬということ…それは目の前からその人の元気な姿が消えてしまうこと。
その人がもう私にしゃべりかけてくれることがないということ。
それが実感できたのはだいぶ後になった、中学卒業間近のことだった。
義務教育を終了する時期にさしかかった私は、学生時代の全ての日々をしみじみと思い返していた。
小学3年頃の私…、純粋だった。
あの頃の日記を読み返すと、なぜだか分からないけれども、毎日「~が楽しかった」「~が不思議に思った」とばかり書き連ねてある。
嬉しい・寂しい・悲しい・辛い・幸せだ…というような様々な感情があってもいいはずなのに、不思議に思った事と、楽しかった事しか書かれていない。
どうしてだろう。

自分なりに分析をしてみたところ、次のように考えた。
私が小学生の頃は家庭内が荒んでいたので、学校生活は全てが楽しく感じられていた。
日記に暗いことを書くと、読んでいる人がつまらないだろうと思い、努めて楽しかったことばかりを思い出して日記に書くようにしていた。
不思議に思ったことをすぐに聞けない場合が多かったため、日記に書くことでそれを見た先生がたまに返事を書いてくれるので、不思議に思ったことをひたすら書き連ねていた。
…といった具合だろうか。

そんな私の日記や行動を見て、先生はどう思っていたのだろう。
O先生からの暑中見舞いと年賀状が、今でも大切にとってある。
それには「2学期に向けて:考えの深まったあなたに期待しますよ、本当に。」と書かれていた。
当時は意味がさっぱり分からなかったけど、今思えば「何でこの子は楽しいことと、不思議に思ったことしか日記に書かないのだろう。もっと色んなことを考えているだろうに…」と思って私を見ていたのではないか。
その頃から、私は知らず知らずのうちに物事を深く考える癖があったのだろうか。
昔から私は常に色んなことを考えて、その考えたことに基づいて自分で行動を起こしてきた。
自分なりに考えて行動しているものだから、例えば何か自分の行動が否定されるようなことがあると、深く傷ついたり、もうその相手には心を開くまい、と思うことが数多くあった。
ちょうどその頃からであろうか、私が統合失調症という病気へのトンネルをくぐり始めたのは。

統合失調症…病気を断片的にしか見ていない人には、ある日、ある時を境にして、突然発病したように見えてしまう。
しかし実際は自分が生きてきた中で、少しずつその病気に自分が傾いていったのだと思う。
だから、この病気は予防できるし、発病しても回復への対処方法が薬以外にたくさんあるはずだと私は思う。
精神疾患に限らず身体的な病気もそうであるが、病気は生き方の問題であると思うのだ。
例えば「糖尿病」。
糖尿病は生活習慣病の一つで、飽食の時代で、しかも運動をしなくなったから増えたと言われている。
ある説によると、国民の自動車所有台数と、糖尿病発生頻度(有病率)の増加率は同じらしい。
統合失調症が生活習慣病だとは言い切れないけれど、かなりその人の生活習慣・思考過程が病気に反映されていると思う。

過去の自分は変えられない。
過去の自分に対して、よく頑張ってきたね~と伝えてあげたい。
でも過去の自分に足りなかった部分は数え切れないほどある。
でも、自分はその時その時を必死に生きていた。
いつもいつも一生懸命にやってきた。
いい加減なことが嫌いだった。
だからこそ、今私は病気になってしまったけれど、後悔していないのかもしれない。
だって病気になってしまったのは、一生懸命やって、それでも少しだけ方向がずれてしまっていただけの事だから…
仕方なかったんだよ、頑張って生きてきた結果なんだから。
おかげで病気から色んなことが学べたじゃない!
ますます考えの深まった私になったよ、先生☆
小学校3年生、まだ10年しか生きていない時代に、私は精一杯生きていたんだな。

先生が死んでから、私の中の時計の一部が止まったままだったけれど、ようやく今少しずつ動き出しました。




発明工夫
やっと待ちに待ったブルーデイが来ました。
昨日は初めての深夜勤務で、仕事が遅くて中々終わらなくて大変でした。
今日はいよいよ準夜勤務です。

くだらない話ですが、今日は「あったらいいな・発明工夫グッズ」です。
私の屁は臭くて、自分が嫌になるほど(笑)
そこで、オナラ臭に悩む人に「尻フィルター」☆
その尻フィルターを肛門周囲に取り付けますと、オナラガスがそのフィルターを通過し、臭いが不思議と消えてしまう…
素晴らしくないですか?
だれかそんな尻フィルターを開発してください。
一枚50円くらいだったら買ってしまうかも^^

病棟で屁をしたくなったら、トイレを通過する際に屁を放ちます。
そのくらいしないと臭くて仕方ない…
誰か屁の臭いを軽減させる方法を教えて下さい!
不調
昨日に引き続き、不調の日が続いている。
月経前症候群の一部なのだろうか、ひどい腰痛まで始まった。
ただひたすら痛い…普通に寝ていても痛い!
腰痛は月経前症候群の一つなのか、それとも月経前症候群がストレスになって腰痛が起きているのか、それは謎だけどとにかく痛い><
市販薬の痛み止めも効きがイマひとつ…
ふぅ~。
早~く来い!
そろそろ限界に近いぞー!
痒み
体が非常に痒い…
かいてもかいても止まらない痒み。
猫の毛が悪いに決まっている。
だけど猫が好きなんだもん~
精神的満足を得るべきか、身体的満足を得るべきか…
私の出した結果は、まず猫と仮眠をとって精神的満足を得て、それから入浴・着替えをして身体的満足を満たせるようにした。
しかしそれでも痒い。
なんだってこんなに痒いんだ。
早く月の物が来て欲しい。
女って面倒くさい。
月経周期でこんなにも体調が悪くなったりするのだから。
はぁ~。
こんなときはvery strongのステロイド軟膏に頼ろう。
痒みがかなり治まっていく。
すばらしい薬である。

友人と語る
土曜日の夜は中学時代の友人2人を自宅に呼んで、久しぶりにお茶しながら話をした。
話はつもりにつもって、互いに夜中まで熱くなり、明け方にはみんなで眠りについていた。
語り合える友人…私にはそんなに多くいない。
語り合える条件って何だろうか~と、ふと考えてみた。

まずコミュニケーションの基本は、お互いに関心を持ち合い、話をしっかり聴こうという姿勢を見せることだ。
人間と人間が正面から向き合えるということが一番大切であろう。
次に何を話題にするかである。
相手の興味のあることを話せば、相手は大変よく聴いてくれるだろうが、相手のあまり興味のない話をすると遮られたり、ノリが悪かったり、上の空で聞き流されたりするだろう。
話題にする内容を適切に選択するには、相手が何に興味を持っているのかを予め把握しておく必要がある。
しかし、いつもいつも相手の興味のあることを自分が知っているわけではない。
知らない場合は、話を進めながら相手の表情や返事の仕方等から、(この人はこの話題には興味あるのかな?それともこの話はこの辺でやめておいたほうが無難かな?)と推測していくのである。
もちろん何でも聞き合える仲であれば、はじめから「そういえば~について興味ある?」とストレートに尋ねてしまう方法もアリだ。

私はどちらかというと現代の若者が好むようなテレビ番組や音楽、ファッションの話には関心が薄く、逆にまじめな話題(政治、社会福祉、環境、教育、歴史、経済など)に関心が高い。
だから普通に生活していると、私好みの話題を選ぶと相手が嫌がるし乗ってこないので、なるべく当たり障りないようなことを話すようになる。
コミュニケーションは相手があってのモノであるから、それはそれで仕方のないことだとは思うが、ちょっと私的には物足りない。
だからこういったブログや、ごく稀に私の関心と合った事を語り合える友人がいるので、その人と心ゆくまで意見を言い合う。

私にとって「語り合える場」というのは大切だ。
ブログにしろ、数少ない友人にしろ、文通友達にしろ、すべて失いたくはないので大切にしていきたいと思っている。
私の中学時代の友人2人は時々関心ごとが同じになるし、基本的には何でも語り合える相手なので、これからもずっと仲良くしていけたらいいなぁ~と思う。




目標管理
目標を持つというのは、自分の在り方を決める上でとても大切なことだと思う。
私はその時その時に、様々な目標を立てて頑張ってきた。

14歳、中学2年生の立志式で私が立てた目標は、
「色々な事ができるようになって、多くの人と仲良くなりたい」
であった。
当時の私は、友人の数は少なく、誰にも心の中を打ち明けることはなく、孤独であった。
だけど自分から積極的に濃密な友人関係を相手に求めることはなく、誰とでも仲良くしようとするあまり、実際は薄っぺらい何も残らないような人間関係になってしまっていた。
本当は特定の誰かと、親密な関係を築けたらいいなぁ…と思いつつも、いつもいつも一緒にいる友達なんて面倒くさい、仲良くなってからその関係が壊れたら嫌だからある程度距離を保ちたい、どうせ人間なんて信じられない部分ばかりだ…というような気持ちが私の中に多くあった。
結局、私が小中学校時代を通して今でも話をしたり遊んだりする友人は2人だけだ。
当時はその友人2人とは、それほど濃密に親しくしていたつもりはなかったのだが、相手の方が私に対して親しみを持ち続けてくれていたため、今も仲良くしていられている。

昔の私は、先生方の言う「出会いを大切に」ということの意味がよく分からなかった。
いちいち出会った人を大切にしていたら、疲れてしまうじゃないか。
どうせただ出会っただけの人は、それ以上の関係になることもないし、何かその出会いのきっかけになったものがなくなったら、ただの名前だけ聞いたことのある人になるんじゃないか。
そう思い続けてきたのだが、私は入院を機にその気持ちが変わった。
私は発病して、入院したことで初めて、自分の中にたまっていた気持ちや考えをストレートに表現できるようになっていった。
同じく入院していた仲間に自分の気持ちを打ち明けたり、親身になって聞いていただいたり、逆に相手の真の声を聞いたり…
本当に人とのつながり、出会いの大切さを感じた発病体験であった。

目標管理…ちょっとカタイ言葉であるが、「チャレンジしていく内容をはっきりさせる」と言ったら分かりやすいかな。
私の職場では「目標管理」を行っていくことになっている。
昨日はちょうどその目標管理のための用紙を作成するために、どのような目標にしようかずっと考えていた。
自分のやりたいことを記入すれば良いのだが、私は内科病棟に勤務しているので、そのやりたいことをどう内科の看護に結び付けて書くか、悩んでいた。
私のやりたいことは
「保健師になって、町の障害者福祉と医療の連携ができ、誰もが生き生きと働ける地域をつくっていくこと」
です。
だから病院看護師でいる間の私の目標はどうあるべきか…
う~ん、もう1日しっかり悩んでみよう。。


私で良かったと思うこと
今日も仕事の話になります。
私の病院の看護体制は「モジュール併用型プライマリー方式」です。
例えば入院患者様一人に対して、一人の看護師が主に受け持ち、その看護師が休みの日には同じチームの看護師数名が受け持つことになります。
今日私が受け持たせていただいた患者様の一人に、肺炎で入院しいて、統合失調症の症状が若干あり、個室で療養されている方がいました。
私は自分が統合失調症であるから、同じ疾患の人とコミュニケーションをとるのに、何のためらいもありません。
しかし先輩看護師に「あの方はプシコ(精神疾患がある人)だからね…会話に気をつけなくっちゃ~」みたいに言われました。
「何をどう気をつけるんですか?」ってツッコミを入れてみたいくらいでしたが、気の毒なので辞めておきました^^
そのくらい医療者で統合失調症の人と身近に付き合ったことのない人は、「統合失調症の人とどう接したらいいのか」難しく考えてしまうらしいです。
同じプシコでも「認知症(痴呆)」や「うつ病」の方が理解しやすいみたいです。
医療者は統合失調症に偏見がある…というよりも、むしろ中途半端な知識だけ持っていて、患者に多く触れ合う機会が全くないために、統合失調症患者との付き合い方に戸惑っている…と言った方が的確かもしれません。

おそらく医療従事者の多くは、「統合失調症」と言えば自分には理解することのできない不思議な病気で、下手に自分が関わると相手の状態が悪くなってしまうかもしれない…触らぬ神にたたりなし…と、誰もが思っていることでしょう。
そのくらい不可解な病なのでしょう、統合失調症とは。

でも当事者にしてみれば、病気なのは自分の中のほんの一部分なんですよね。
人格すべてを否定されたり、異常者扱いされたら、たまったもんじゃない!!!
人として普通に接してもらうのが、一番嬉しいと思うはずです。
今日私は、その患者様に接していて、私が看護師で良かったと初めて思いました。
精神科ではない病棟にも、意外と精神疾患を抱えた人が多いことに気づきました。
特にガンの告知を受けた後には、かなりうつ状態に陥る患者様も多くいらっしゃります。
この職場で自分の経験を少しでも生かすことが出来れば、それは幸せなことだと思いました☆

疲労
私はとても疲れやすい。
日勤のときは、朝7時半位には着替えて病棟に入る。
そして予め1日の仕事内容を確認して、余裕を持って仕事を始められるようにしている。
お昼休憩は原則1時間だが、決まった時間までにキリがよく仕事が終わらなければ、休憩に入る時間が遅くなり、休憩が短くなってしまう。
午後も仕事をして、夕方4時半ごろには定時だとあがれるはずなのだが、実際は6時7時まで残って仕事をやっていることもある。
そして残業手当は、特別に事情があって認められる場合以外は全くつかない。
とにかくハードだ、大病院は。
仕事自体はやりがいはあるが、とにかく大変で体がもたない。
午前中はまだ何とか動けるのだが、午後2時を過ぎたころからだるくなってきて、ボーっとしてくる。
頭痛や体の痛みや眠気が始まり、早く仕事が終わらないかなぁ~と切に願い始める。
そして4時を過ぎる頃には、完全に脳が「もう無理」って感じになって、より激しい頭痛やそわそわ感、幻聴のような不思議な体感異常が生じてくる。
このままあと2段階程がんばり続けたら、間違いなく再発しそうな感覚だ。
自分がこの仕事をいつまで健康で続けていけるか、今から心配の種である。

この病気の辛いところは、普通の身体疾患(貧血、喘息、腰痛、心臓病など)だと、明らかに調子悪そうだから休んでも仕方ない…と思われるだらろうが、統合失調症だとそうはいかない事だ。
この病気は特に、医療者には偏見が多くあるから中々言い出せないし、幻聴・体感異常・何だか再発しそうなそわそわ感・脳機能(思考力・記憶力など)の低下はそうそう他人に分かってもらえるものじゃない。
見た目はボーっとして気が抜けているだけの、やる気なさそうな新人に見えているんだろうな。
あー悲しい。
やる気はあるんだけど、体がもたないよ。
こんな時ほど、自分にもっと体力があったらな…と思ったことはない。

疲れとどう向き合いながら仕事を進めていくか、それが当面の最重要課題になりそうです。
みなさんも疲労をためすぎないように、こまめに休息をとっていきましょう!


サービス業
看護師の仕事はサービス業である。
私は学生時代は、毎日記録を書くのがとても大変で、病棟にいるだけでも気を遣ってしまい、非常に疲れていた。
しかし今はそんなこと言ってられない。
早く病棟に馴染んで、少しでも患者様に満足していただけるサービスを提供できるようになりたいと思う。

私だけなのか、この病気の人の特徴なのかどうかよく分からないが、私は人と向き合って会話していると、どうしても私の方が情報をすばやく理解してしまうので、話を最後までじっくり聞かずに、中途半端に耳を傾けながら次の行動に移っていることが多い。
それは良く言えば「物分りのいい、機転の利く人間」ということなのであるが、悪く言えば「人の話を最後まで聞かない、失礼な奴だ」という事になってしまう。
私は学生時代も、そのことで散々指導者や教員に注意を受けてきた。
だから私は人の話を聞く時は、意識して向き合い、最後まで相手の言ったことを聞き取るように努力している。
しかし疲れていたり考え事をしていたりすると、ついつい話を聞く姿勢が中途半端になりがちだ。
今日も患者様の入院をプリセプターの先輩と一緒に担当したのだが、先輩の姿を見ていて(あぁ~、やっぱり先輩は接客のプロだなぁ…)と感じた。
とにかく相手の状況を見ながら、丁寧な説明がなされていくのだ。
私だったらどのように説明するだろうか…と考えながら、先輩の脇でやりとりを見学していた。

病棟で働き始めて3日目。
日々勉強の連続です!
疲れて家に帰ると、自分で料理する気力もなく、実家に帰って夕飯と入浴を済ませる毎日です。
しばらくは家族の助けを借りつつ、社会人としての生活を維持していくつもりです。

畑仕事
今日は天気がいいので、畑仕事をしました。
…と言っても、隣の空き地を開墾して、少々野菜や草花を植えているだけなのですが^^
よく見たら、アスパラガスの芽が3cmほど出ていました。
これから暖かくなるので、ニョキニョキ伸びてくるはずです。
アスパラガスは何と言っても採りたてが一番おいしい。
甘味があって、ゆでてそのままで食べるのが最高です!

その他は「瑠璃球アザミ」という花の苗を地植えにしました。
ハーブの「ルウ」も地植えにしました。
除草もしました。
ニラも青々と伸びてきていて、「食べてイイよ」とささやいているかのようです☆
唐辛子(鷹の爪)の苗も買ってきて植えました。
春は土地の活用法を考えるだけでも楽しいです。
あ~、農業やりたい…って今は看護師なんだけど。。
今日の夕飯には、河川敷で採ってきた菜の花のつぼみのお浸しがおかずにあります。
春の味です♪
先輩
職場では先輩について、仕事を一つ一つ教わっている。
私の病院では3年目の看護師(プリセプタ―)が新人(プリセプティ)を教えることになっている。
初日は先輩がどんな人なのか分からなくてとても緊張していたし、次々と仕事の説明がされていくので、仕事が終わった後はぐったりだった。
今日は2日目で先輩のペースがつかめてきて、何とかメモをとりながら仕事を一つ一つ覚えていくことができた。
私のプリセプタ―は冷静で仕事の出来る人だ。
患者様との対応の仕方も、どんなに忙しくてもそれを出さずに、冷静に、そして丁寧に一人一人に接している。
声のかけ方一つをとっても、私がしてもらったら嬉しいような言葉をサラリと言ってくれる。
ステキな方だ。
それに私の職場には、主任さんも師長さんも他の看護師もみんな生き生きと仕事をしている人が集まっている。
周りに自分が手本としたくなるよな先輩が数多くいるということは、私はすごく恵まれているなぁ~と思う。
プリセプタ―には私が一日中張り付いていることで、ずいぶん負担をかけているなぁと感じている。
看護部では特に新人教育に力を入れている病院なので働きやすいが、特にいつもいつも私の面倒を見てくれている先輩には、感謝の気持ちが言葉では表せないくらいたくさんある。
これから先は長いが、日々努力を積み重ね、真面目に仕事を覚えていこう♪


桜の季節
桜が咲く季節になると、私は入院していた頃の事を思い出す。
それまで狭い世界に生きてきた私は、15歳の時、初めて単科の精神病院に入院することになった。
閉鎖病棟だからもちろん自由に外に出ることは出来ない。
窓から見える、まだ若いひょろひょろしている桜の木を毎日観察していた。
段々つぼみは膨らんできて、やっと花開いた日の事を私は忘れない。
毎年学校にある立派な桜の木の下で、桜吹雪を浴びることを楽しみにしていた私は、その入院していた年の春はとうとう桜の花を遠巻きに眺めるだけで終わってしまった。
だから今日、病院の満開の桜の木を見て、私はなんて幸せなのだろう…と思った。
単純だなぁ、私って。
だけど桜を近くで自由に眺めて、風の動きを感じられる…そんな何気ない日常に本当は感謝しなくてはいけないんだと思う。

私はこの春、病院の内科病棟で勤務が始まった。
病院には外に出掛けたくても、ベットに寝たきりで春を感じることさえできない人がたくさんいる。
本当は桜の一枝でも花瓶に挿してベッドサイドに置いてあげたいのだが、新人は病棟の仕事を覚えるのでいっぱいいっぱいで、中々そんな余裕がない。
私はどんな看護師になるんだろう。
周りからどう見られるようになるんだろう。
日々の仕事に追われて、ゆっくりできる時は少ないかもしれないけれど、患者様がビクビクせずに、ホッとできるような時間を提供していきたい。

私は自分の病気をやっと受容できるようになってきた。
でもまだまだ足りないかなぁ…と感じている。
この桜の季節を越えるたびに、私は成長していけるような気がする。
病気を抱えて生きていくのは大変だけれども、これが私なんだ…私の運命は病気と共に生きることなんだ…そう思って、日々淡々と生きていこう。

今日は桜咲く中で、昔を思い出した日でした☆

メンタルへルスの集いに参加して(午後の部)
少し前の話ですが、作家、五木寛之氏の講演会に行ってきました。
私は彼の話を聞くのは初めてで、どんな人なのだろう…と楽しみに出掛けました。
五木さんはすごく自分の世界をもっている方で、話も分かり易かったです。

☆内容についてですが…
印象に残った部分は「毎日ニュースでは自殺や殺人、虐待など悲しい事件ばかりで、すごい世の中になってしまったんだなぁと感じている。私はもう年でこの先短いので本当に良かったと思う。もし自分が今これから将来のある若者だったとしたら、世の中に希望が持てず、嫌気がさしておかしくなってしまうだろう。だから今日話を聞いてくださっている精神的な病気を患っている人は、時代の流れとして正常なのである。今のおかしい世の中で、正常でいられる人の精神の方がおかしいのです。」
そう言われて、たしかにそうだと思った。
今の世の中は、はっきり言って汚い部分が多い。
政治家を見ても変な大人が相当いる。
もちろんよくやってくれている大人が大多数なのだろうけれど、裏で汚いことをやって平気な顔をしている人がかなりいることは事実だ。
これは一つの職業に限ったことではない。
人間として誠実に生きられている人、常に自分の信念に基づいて自由な生き方をしている人は実に少ない。
悲しいけどそういう現実を直視していくと、生きるのって大変だ…、このまま生きていてもいいことなんてないんじゃないか…、自分はどういう人に成長していくんだろう…と、悶々としてくる。
今の世の中はたしかに生き辛くって大変な世の中だなぁ…と思うけれど、でも細かい所にまでよく目を向けると、ステキな人もたくさんいる。
変な政治家・役人もいっぱいだけれど、すごく理想が高く、生き生きと信念をもって着実に仕事に取り組んでいる人もちゃんといる。
そういうしっかりした人間が、この世界をより良い方向に導いていくのだと思う。
私もしっかりとした人間として生きていきたい。

話の中で他には自殺ということにもふれていた。
「日本は食べ物・着るものに困ることのない、物質的にこんなに豊かな国なのに、どうして自殺者が多いのだろう。命が軽いからじゃないか?例えばこのおしぼりのように水分をたくさん含んでいれば重くて、火をつけても燃えてなくなることはないけれど、このおしぼりが乾いていたら、軽くて火をつけるとあっという間に燃えてなくなってしまう。つまり軽い命は消えやすい命だということなんだ。命が軽く扱われているからこそ、こんなに多くの人が自殺してしまうんだ…」
その話にも私は納得した。
では軽い命とはどういうことか?
説明するのは難しい…けれど敢えて表現するのならば、「生きることに苦労していない命」ということではないか。
昔は生きるためには、働いて食べ物を得る必要があった。
衣類も必要ならば自分で作った。
風呂に入るにも、物を燃やした熱で湯を沸かしていた。
生きるには苦労の連続であったと思う。
でも今は便利になったものだから、日常生活くらいは誰でも難なく送れてしまう。
ひきこもりが許されているのも、現代社会の特徴であろう。
昔は「働かざるもの食うべからず」と言われ、働くことは生きる上で当然のこととされてきた。
しかし今は働かなくてもかなり楽をして生きられる。
それはすばらしい世の中になってきていると私は思う。
しかしそのすばらしい世の中も、一歩間違うと何もしなくても受身で、ただ生きていることができる味気のない世の中になってしまうだろう。

自殺する人としない人はどこが違う?
命の重さの違いはどのようにしてできるのだろう…。
自殺しない人間が育つための条件とは何だろう?
様々なことを私は考え始めたが、中々的確な答えが導き出せないでいる。

「人はみんなトスカという虫を自分の中に飼っている。人間は成長していく中で、自分は何のために生きているのだろう、どう生きたらよいのだろう、自分が生きていてもどうにもならないんじゃないか…などと、心の中に難しい問題を抱えるようになる。それは誰もが一度は通る道で、昔の人々はそのような悶々とした考え込むような落ち込んでいる期間のことを『トスカが暴れ始めた』と表現したそうだ。トスカが暴れる時期・期間は人それぞれで、中にはトスカが息を潜めたままで一生を終える人もいる。トスカが暴れていて、何をやるにも気が重い・肩の力が入ってしまうような時は、大きな溜め息を『ア~ァ』とついて、自分に重くのしかかっていたものを下ろすようにした方がいい。こういう時代だからこそ、大きな溜め息をついてやり過ごすしかないんだ。」
…と五木さんは人生で思い悩むことについて、「トスカ」という言葉を用いて実に分かりやすく教えてくれた。

誰もが通る道、それをちょっと他人より早く通ってきてしまった…それが私たち統合失調症患者の生き方なのではないか。
メンタル系の病気に限らず、身体の病気も含め、「病気になる」ということは、生き方を見直すチャンスなのである。
特に私の場合、病気をきっかけにして人間関係やコミュニケーション、生活習慣を再検討するようになった。
私は今後もしかしたら病気が再燃してしまうこともあるかもしれない。
でもそれは「トスカが暴れだしたんだ。生き方に無理していた部分はどこだったかな」とゆっくり考えることの出来る私に与えられたチャンスだと解釈しよう。
生きるのはそれだけ難しいって事だ。
でもちゃんと苦労して生きていけば、消えにくい重い生命となっていくことと思う。
みんなも悩んで悩んで、生き抜いているぞ!自分も頑張っているぞ!ってくらいになって、生きている実感を味わおう☆
ハーブ
ハーブの中で私は「サントリナ」と「ナスタチウム(金連花)」が好きです。
サントリナはとても香りがよいのです。
人の好みが分かれそうな香りですが、私はあのちょっと薬臭いような何ともいえない匂いが好きなんです。
昨日はポット植えのサントリナを、大きな鉢に植え替えました。
夏ごろには大きな株に成長していたら良いと思っています。
サントリナは除虫効果があると言われているハーブなので、蚊も寄ってこなければ更に嬉しいなと思います^^
金連花は葉っぱがかわいいです。
食べるとピリッと辛くて、水をかけると葉っぱの上で水が丸くなってコロコロ動きます。
まるでハスの葉っぱのミニチュア版です。
ねずみが金連花の葉っぱを傘代わりにしたら、ちょうど良い大きさでかわいいと思います^^
花の色は黄色やオレンジが一般的です。
金連花は水ざし(葉っぱを数枚つけたままの茎を折って、水を入れたコップにつけておくだけ)で簡単に増えるので、部屋に飾るのもかわいいです☆
植物をそばに置いておくと、生命の動きが感じられて気分が明るくなります♪
病院
病院に就職するとは、どういうことなのだろう。
日々、仕事をこなすので精一杯で、身体がボロボロになるんじゃないか…と思っていた。
でも今日から仕事が始まり、新人オリエンテーションを受けていくうちに、(あ~、病院で働くって面白いかも。。)って思った。
看護は幅広い。
自分のやりたい目標をちゃんと持ってやれば、それなりの結果がついてくくるだろうし、見ていて応援してくれる人もきっといっぱいいる。
しばらくは病院というフィールドで、精一杯やっていきたいと思っている。
このブログに遊びに来てくれて、応援してくれるみんな、本当にどうもありがとう!
日々、色々書いていて、それにコメントがあると嬉しいです☆
これからもよろしくお願いします♪