私の感覚 2005年05月
私の感覚
35歳の私が日々考えていることをサックリと文章にしています☆
プロフィール

ようこ

  • Author:ようこ
  • 看護学校3年生からお気楽主婦になるまでの私生活のブログです。気ままに思ったことを綴っています。私自身、統合失調症を患っており、病気を抱えながら働くことの大変さを実感しています。2009年6月に第一子を、2015年5月に第2子を出産。今は2歳と小2の息子を囲んでの幸せで大変な生活を楽しんでいます。より多くの人が統合失調症を理解してくれることを願ってます。
    FC2 Blog Rankingにほんブログ村 メンタルヘルスブログ 統合失調症へ
    にほんブログ村

最近の記事

最近のコメント

月別アーカイブ

カテゴリー

最近のトラックバック

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

ブログ内検索

リンク

このブログをリンクに追加する

RSSフィード

辛い
今日は体調が最低だ。
理由は分からぬ。
ただ調子がすごく悪いのだ。
朝起きてお腹が空いていなかったけれど、習慣的に朝食を摂り、その後銀行での用を済ませて自宅へ戻る。
だるい…昼飯を少量摂取して、ナロン錠(市販の鎮痛薬)を飲んで布団に倒れこんだ。
目が回る…頭の中がざわついている…何だか嫌な予感!
再発の前駆症状に似ているんだ。
熱を測ったら37.3℃、微熱だ。
布団に包まってひたすら寝ていた。
夕方になって食材を買出しに行った。
帰り道もだるくてふらふらだった。
ただの風邪ならいいけれど、何だかすごく嫌な予感!!
自宅へ戻って昼寝して、明日に備えて入浴と洗濯をして今に至る。
ものすごく頭が痛い。
脳内物質がうまく動いていない感覚だ。
どうしたらいいんだろう…
2連休が今日で終わり、明日からまた仕事だ。
辛い…行きたくない。
でもそう簡単に休める仕事じゃないのは分かっている。
もし熱が39℃あったなら、正直に話して休む事も可能だろう。
でも私の調子の悪さは持病によるもの、微熱しか目立った症状がないのに「休ませてください」なんて言えない。
どうしよう…もうこの仕事を続けるのは限界なのかな。
どんな仕事も大変なのは分かってる。
今の仕事を辞めたからって、次の仕事が楽に出来るものだとは限らない。
もっともっと辛い仕事になるかもしれない。
だけどこのまま今の仕事を続けていくには、かなり無理があると感じ始めた。
もともと私が看護師になったのは随分無理を重ねてやっとの思いでなったのだから、楽に働けるはずなんてない。
それは分かっている。
すごく楽をしたいとは思わない。
でもほんの少し今の辛さを軽減したい。
月に6日しか休日がなかったら、もう私は正常でいられなくなりそう…
タイミングを見計らって、上司に相談してくるしかないかなぁ…

凹んだ事、嬉しかった事
仕事で凹んだ事があった。
検査のとり忘れミスをして、事故報告書を書く事になってしまったのだ。
事故報告書を書くのは初めてで、先輩に私のミスを指摘された時は、申し訳ない気持ちでいっぱいで、かなり凹んだ気分で仕事を始めた。
その後も死亡退院が出たりして、淋しい気分になりながらも、すごく慌しく仕事をしていた。
結局夜中に帰れるはずが、明け方まで仕事と事故報告書の作成を行っていた。
一緒の勤務だった先輩も事故報告書を書いていて、帰りに朝食に誘われて御一緒することになった。
今まで2ヶ月仕事をしてきたけれど、先輩方とゆっくり話す機会が全くなかったので、今日こうして先輩とたくさん話せた事が嬉しかった。
私は人の好き嫌いは少ないが、意外と人見知りする方なので、中々職場の人ともゆっくり思った事を話す事が出来ない。
どこか自分を100%出し切れない環境だ。
でもなぜかその先輩といると、落ち着いた気分になれた。
私とタイプが似ているのかな…波長が合う人間だと感じたひと時だった。
いちご
庭のいちごがたくさん実をつけている。
思い起こせば4年前、苗を3つほど買って、別の土地に植えていた。
しかしそこは土地が悪くて、ランナーをたくさん出すけれど、ちっとも実をつけなかった。
そこで2年前に私はランナー(子株)を家のすぐ脇の土地に移植。
1年目は葉ばかりで収穫はほとんど無かったが、2年目の今年は次々に実をつけて、毎日いちごを楽しめるようになった。
形は不揃いで、色も均一ではないが、すごく甘いいちご。
時間はかかったけれど、おいしく食べれたので植えてよかったなぁ…と最近しみじみ感じている。
仕事
2連休が終わり、また昨日から日勤だった。
休みボケがあったのか、昨日は仕事がスムーズに出来なかった。
今日は何とか勘を取り戻して、自分のペースが少し戻ってきたけれども…
休みは嬉しいけれど、休んだ直後の勤務が結構辛いことが判明した!
今日は日勤2日目。
疲れた…夜11時過ぎた頃に眠気のピークがある。
それを何とかやり過ごすと、少しは起きていられる。
でも夜更かしは明日に響くので、大体いつも12時半前には寝るようにしている。
…本当は9時ぐらいに寝て、9時間睡眠が取れれば最高なのだが、中々仕事のおさらいをしたり、家事をしたり、私用をこなすと睡眠時間が慢性的に不足してしまう。
当面の間は良質な睡眠時間をどう確保していくかが、最優先課題ですなぁ☆

好きな人
好きになる条件って何だろう。
運命?偶然?性格の差?容姿?
よく分からないけれど、お互いに魅かれているのは偶然なのだろうか?
一緒にいると、お互いが好意を持ち合っているという感覚が私にはある。
不思議だ…。

私は結構変な人間だ。
人は皆それぞれ違うものだけれども、私はかなり性格や考え方が独特であると自分で思う。
なぜならば自分が周りの大多数の人々の中にいると、どうも感覚が合わないような浮いたような感じになるからだ。
多分この世界にいる人を、大多数の人と少数派に分けたら、私は恐らく少数派の人間に属するのだろう。
つまりそれだけ自分の感覚を認めて、受容できる人に出会えるチャンスが少ないということだと思う。
それなのに偶然出会ってしまった。
こんな私のことを認めてくれ、普通に付き合ってくれる人間と。
珍しい…。
高校2年の冬に出会って、それ以来休止期間はあったが、ずっと連絡を取り合っている。
不思議な関係だ。
恋人…とはちょっと違う気もするが、とにかく私のよき理解者であり、好きな人だ。
彼とは今日久しぶりに会って、出掛けたりした。
人と遊ぶのは疲れるので、普段休日は一人でごろごろしていることが多いのだが、今日は思い切って遊んで良かったと思う。
いい気分転換にもなったし、幸せな気分にもなれた。

好きな人と恋人がどう違うのかは自分では経験が少ないため分からない。
でも好きで一緒にいると幸せな気持ちになれるのは、よい傾向だと思う。
でもそう思うのは私だけで、彼はすぐに緊張するし、遠慮するし、私に気を遣ってくれる…。
なんで彼は私に会いたいと思ってくれるのだろう。
謎だ…、私だったら私みたいな人と遊ぶのはゴメンだ。
意見ははっきり言うし、人使いが荒いし、口ばかりでやりもしないのに文句ばかり言うし、相手に何かしてあげようとも思わない。
ぁ…なんか自分で書き連ねていて、いかに自分がひどい人間か自覚を促された感じがする。。
こんなんだから、まともな恋愛経験がないんだなぁ~私って。

ふふふっ、皆さんは「恋人がいない・出来ない」って嘆く前に、自分はどんな人間なのか、どれだけ魅力ある人間なのか、自己分析をしてみましょう。
最近の若者は就職活動時期に自己分析を真面目にやる機会が出てくるようで、自己分析をするといかに自分が何も出来ないダメ人間かが思い知らされて、凹んで就職活動を挫折する人が多いんだって!
だから自己分析で否定的な面ばかりが気になって、良い部分が見つからなくても、私も最近の若者の一人なんだ…って思って下さい。
そういう人がたくさんいるので、自分だけじゃない☆だけど自己分析をして自分の弱点・欠点を再認識して、前向きに頑張るのも大切ですよね♪

今日は好きな人の話から、自己分析の話へずれていってしまいました。
私の言いたかったことは伝わったかしら…?
グリーンマイル
土曜日にテレビで「グリーンマイル」がやっていたので見た。
これは私が高校2年の時にレンタルして一度見たことがあったのだが、もう一度見ることにした。
内容はほとんど覚えていた。
これは何度見ても泣ける映画だ。

冤罪なのに、状況説明を上手く言葉で伝えられず、死刑となってしまったジョン・コーヒー。
彼は恐らく知的障害という設定だろう。
しかし彼には知的障害があるが、感覚が誰よりもずば抜けて鋭かった。
彼には周囲にいる人の心が分かってしまう。
そばにいるだけでいい人か悪い人かを感じてしまい、その人に触れれば具体的にしてきた悪い内容も感じ取ってしまう。
彼は感覚が鋭敏だったのだ。
知的レベルが低くても、感覚が鋭敏な人は存在する。
知的レベルが低いということは、自分の感じていること・思ったこと・考えたことを適切な言葉で周囲に伝えて、理解してもらうことが困難だ。
つまり知的レベルが低いということは、それだけでストレスが溜まりやすいのだと思う。
ジョン・コーヒーは感覚が鋭敏で、繊細で、感受性豊かな人間であった。
それ故、世の中の汚い部分がひしひしと感じられて、常に心を痛めていた。
彼はそのことについて「ガラスの破片がチクチクと頭を突き刺すような感じ」と確か表現していたと思う。
知的レベルが低くても普通でも高くても、とにかく感覚が鋭敏な人間はそれだけで生きることにエネルギーを使うのだ。
なぜならばそれだけ多くのものを感じることで、心を普通の人よりも多く使うからだ。

例えば私の身近な所でこんなことがあった。
「なぜリサイクルできるものなのに捨ててしまうのだろう。」と私が言った。そしたら相手は「いちいち分別するのは面倒だから。それにゴミをためておいたら部屋が狭くなるじゃない…」と。
私はその相手はどれだけ地球のことを考えて生活しているのだろうか、いやきっと何も考えていないのだろう、何も考えていないからこそこんなにいい加減な自己中心的な生活をしているのだろう…と思った。
つまり私は何をするにでも、それだけ多くのことを考えて行動している。
その理由は多くのものを感じてしまうので、その感じたままに考えて行動し始めてしまうからだ。
私はジョン・コーヒーほどではないが、かなり感覚が鋭敏だと思う。
だからこそ疲れやすいのかもしれない。

最期にジョン・コーヒーは言った。
「もう生きるのに疲れました。逃げる?そんなバカなことはしません。」

私も最期のときが来たら、「もう生きるのに疲れました。」と思って、ホッとした気持ちで死ねるのだろうか。
寿命は人それぞれだけど、その人が生きた人生の濃さは誰も皆同じなのではないか…と私は思ってしまう。

日々病院で多くの患者様と接していて、「どう生きるのが幸せなのか」と考えさせられてしまう。
超高齢の方で「こんな身体になってまで生きていたくない。家で死にたい。入院していたくない。」と言われてしまうと、私は一体どうしてあげる事が相手のためになるのだろうか…と考えてしまう。

「グリーンマイル」まだ見たことのない人は、ぜひ見てほしい映画の一つだ。
内容は重いが、そこに出てくるネズミの可愛らしさは何とも言えない^^
人それぞれのグリーンマイル、私はあとどれだけ残されているのだろうか…と、ふと考えてしまった。
微熱
私はいつも月のものが来る前は微熱が出て、体調が最低になる。
ちょうど今がその時だ。
原因は分かっているので心配はしていないが、体温が37.4℃位まで上がると、さすがにだるさと寒気が出てくる。
今日はホットカーペットをガンガンつけながら、布団に包まって溜め込んだ新聞を読んでいた。
2連休も終わり、また明日から仕事だ☆
正直なところ、仕事を辞めてしまいたいくらい疲れとストレスを感じることが多い。
しかしもうすぐ給料日だと思うと、もうひとがんばりだと思ってしまう。
どんな状況でも、まずは働けているだけでも幸せなんだよなぁ…
明日も大きなミスをせずに、無事に一日が終われますように☆
夢を最近よく見るようになった。
仕事で大変な場面が夢の中で再び出てくるのだ。
あぁ、気持ちが落ち着かない。。
嫌な焦らせられる夢を見ると、どうも寝た気がしないのだ。
でも明日から2連休。
病院の事はすっかり忘れて、ゆっくりしようと思う。
自然との共生
自然との共生について真剣に考えている人がどれほどいるだろうか。
田舎者にとっては自然を身近に感じることは、そう難しくないことだと思う。
しかし都会の人間にとってはどうだろうか。
新聞記事で東京の未就学児20人近くに習字教室を開いている方の投稿記事があった。
その人の教室では生徒の半数以上が「田んぼ」がどんなものか分からないとの事。
その記事を読んで、びっくりしてしまった。
都会の子供は米はどうやって作られると思っていたんだろう。
お金を払えば買えるから、どうやってお米が出来るか…なんて興味がないのかな。
食べ物を残して平気で捨てる人間は、きっと農作物を作る大変さを分かっていないんだと思う。

私は農作物が安くなければ売れない風潮は良くないと思います。
特に米は適正価格というものがあって良いと思います。
また自然災害(台風や冷害など)があれば、価格が上昇するのも仕方ないのではないでしょうか。
だって米は1年に1回しか作れないのです。
人間がどんなに頑張っても、工業製品とは違って大量生産には限界があります。
自然の気候は人間の力ではどうにも変えられないからです。
その土地に見合った収穫量が大体決まっていて、あまりに無理をさせて作付けしていくと化学肥料を大量投入することになり、自然のサイクルが狂います。
自然のサイクルが狂うと病気や虫害が大量発生しやすくなり、益々農薬漬けの農作物が出来上がります。
人間もそうだけれども、自然界も人間によってかなり無理をさせられている時代だなぁと感じます。

自然との共生…と言えば、愛知・地球博☆
行ってみたいけれど、そんな余裕が今はありません。
ぜひ行った人は話を聞かせてください。
あとカおルさんのブログでもありましたが、宮崎駿監督の作品も自然がテーマのものが多くあると思います。
私はもののけ姫を中3の時に見て、感動のあまり映画館で泣いていました。
キャラクターの中で、コダマが首(?)をカタカタと鳴らしている森の中の場面がすごく好きです。

自然を大切にするために、みんなはどのような協力をしていますか。
私はリサイクル徹底をしています。
町の分別収集項目は暗記して、必ず資源として再利用できるものは分別しています。
ですから私は可燃物のゴミをほとんど出しません。
またゴミになりそうなものでも、何かに利用できないかよくよく考えた上でゴミ決定をしています。
私はそんな生活習慣なものですから、何でもボンボンゴミ箱へモノを突っ込んでいく人をみると、感覚のかなり違う人間なんだろうなぁ…と思ってしまいます。
また後でこっそりまだ使えるものをミスミス捨てていないか、分別がきちんとなされているか、軽くチェックさせていただくことがあります^^
その他、電気の使わないコンセントはその都度抜く、水を流したままにしない(洗濯は溜めすすぎ法)、自転車や公共の交通機関をなるべく利用する事を心がけています。
自然と共生するレベルにはまだ程遠い社会ですが、全ての人が少しずつ生活習慣を見直し、自然にやさしい人間であろうと努力するならば、自然への負担が少しは軽くなることと思います。

イライラ
仕事が疲れた。
ぐったりしていた。
夜中の11時半位から働き始めて、翌日の9時過ぎまで…
私は仕事が遅いので、中々休憩時間が取れない。
昨日はフルに夜中は働き通して、明け方4時半位に先輩が「この時間を逃すと休憩入れなくなるから、少し休んできな!」と言ってくれて、10分ほど休憩をいただいた。
でも自分のやるべき仕事がわんさかと残っているのに休憩をいただいても、中々気が休まらない。
休憩が終わってまた仕事に戻り、採血をしていた。
採血はその時の気分(精神状態)によって取れる時と取れない時との差が激しい。
採血で各病室を回っている間に次々とナースコールがあって、私はそれぞれの患者様の下へ走ってまわる。
中には何度も何度も私がその場へ行けるまでコールを押し続ける方もいて、「私の体は一つしかないんだよ!順番に行きますから!!」とイライラしてしまう。
今朝はなんとなく焦った気分がたたったのか、採血が1回で取れなくて2回取らせていただいた人が数名出てしまい、余計に落ち込んだ。
採血が終わった後は、先輩にたくさん仕事を手伝っていただいたので、少し時間に余裕があった。
記録を少し終わらせて、食事介助のある人をテーブルセッティングしてまわる。
ある患者様は「ご飯、食べさせて下さい」と食事が始まる前から私にお願いしてくる。
もちろん私だってお手伝いには来るけれども、他に決められた時間でやらなければならないことが山積みになっている。
「申し訳ありませんが、これから~を先にやらなければならないんです。終わったらすぐに来ますので、それまでお待ちいただけますか?」と断る時、時間の余裕のなさに情けなくなってくる。
そして他の仕事を終えて、待たせていた患者様の下へ行ってみると、既に食事が下げられていたりしている。
また朝の忙しい時間帯に申し訳なさそうにナースコールを押してくる方がいて行ってみると、「便が出たの。忙しい所申し訳ありません。形が崩れないうちにお願いした方が、キレイに取れると思ったので…」と話している。
私は働いている身だから、ナースコールに対応するのは当然の仕事だと考えて動いている。
なので患者様の希望に沿った援助が出来るよう心掛けている。
援助の際に相手が遠慮してしまうことのないように、「自分が忙しくて時間をかけられない」という態度を表面に出さないように、余裕のある丁寧な対応が出来るよう努力している。
しかし忙しさと疲労感は私をダメにする。
今日も朝6時から7時過ぎにかけて、イライラして仕方なかった。
自分がおかしくなってしまうんじゃないか…と思うくらい疲れていた。
イライラしている自分が嫌になるし、仕事を続けていくのが苦痛になってくる。

でもやっぱり1日の仕事を終えて、無事に休憩室で仕事仲間と一息つけると、今日もよく働いたなぁ…とホッとする。
深夜勤務が終わって帰宅したら、すごくいい天気☆
布団を干して、洗濯をして、軽く食事して、夕方まで昼寝♪
そして布団を取り込んで、更に深夜まで睡眠タイム♪♪
昨日眠れなかった分を一気に取り戻した感じでした☆
明日はお休みなのでゆっくりしたいと思います。

超・乾燥地帯
私の手はとても荒れやすい。
元々アトピー性皮膚炎だったのに加えて、猫・兎の毛で痒くなる体質、仕事柄の頻回な手洗いが私の手荒れを酷くしている。
暇さえあればハンドクリームやワセリンを手に塗っているのだが、すぐに吸収されたり、手洗いで落ちてしまって中々しっとりしない。
指の腹が切れてしまって、血がにじみ出てくるのはさすがに痛くて仕方ない。
帰宅後や寝る前には薬と油分をべっとりつけて、包帯できっちり巻いておくのだが、数時間もしないうちに手が油切れでキシキシしてくる。
超・乾燥地帯~皮はめくれあがって、亀裂があちこちに生じている。
どうしようもない…次の休みには皮膚科にでも行ってこよう☆
ドリンク
私は家にいると一日中何かを飲んでいる。
別に糖尿病である訳ではないが、常に何か飲んでいたくなるのだ。
私は一人暮らしにも関わらず、あらゆる種類の飲み物を取り揃えている。
緑茶、ほうじ茶、玄米茶、そば茶、紅茶、インスタントコーヒー、ミルクココア、豆乳ココア、スキムミルク、シジュウム茶、麦茶、トマトジュース、牛乳、果汁100%ジュース…
と、まぁ~こんな感じだ。
今日みたいな寒い日には、ホットココアかそば茶など入れて飲んでいる。
引越しで電化製品を買う時にも、迷わずに最初に電気ポットを購入しようと決めたくらい、私にとっては飲み物を作るためのお湯は必需品だ。
そして最近購入したのが、お茶を粉末にできる機械だ。
緑茶を急須に入れて飲むのももちろん良いが、粉末になっていればお茶殻が出ないので、手軽でなお良い。
しかも丸ごとお茶を摂れるので、何だか得した気分になってしまう^^
私は美味しい飲み物をゆっくりいただいている時に、とっても幸せを感じる。
仕事中は休憩時間にしか水分を摂れないので、休日は一日中水分を摂れるので体が元気になる気がします☆
生きる意欲
昨日、今日と高校時代の友人と遊んできた。
数年ぶりに会った友人は、昔と変わらずにいてくれた。
そして「お前も変わっていないな!」と返された^^

彼女はこんなことを言っていた。
「俺は30歳位で死にたいな…」と。
私は「何で???」と聞き返そうかと一瞬思ったが、ちょっと意表をつく返事をしてみようと考え、「じゃあ、今のうちから中身の濃い人生を送っておかなきゃね…」と返してみた。
そしたら彼女は「失礼なっ!今の人生が薄いというのか~」ってちょっと怒った。
でもそれにしても何で彼女は「30歳位で死にたい」と考えたのだろう。
彼女のトスカが暴れ始めたのだろうか、それとも日々の仕事で疲れきっていたのだろうか…。

「生きる意欲」があるとはどのような状態なのだろうか。
簡単に言うと「生きたい、生きていたい」と思えることだろう。
では何故「生きたい」と思えるのだろうか。
「生きたい」と思えるだけの理由やエネルギーはどこから湧いてくるのだろうか。
「生きる」のは大変だ。
疲れることもたくさんある。
だけど私は生きていたいと思う。

私もかつて生きる意欲が消失していた時期があった。
それは病気の急性期の時のことだった。
この世界において自分の生きる意味を見失い、何を信じて生きればよいのか分からず、混乱していた時期だ。
身体はぐったりしているにもかかわらず、脳が布団の中でゆっくり休むことを許してくれず、冷たい床の上に私は転がっていた。
薬の力を借りるのにも抵抗があり、ひたすら水を飲み続けるため、薬の作用に身を任せてゆっくり休むことが出来ていなかった。
身も心もボロボロで、あと少しで命のロウソクが消えるところだった。
私が「生きたい…」と思えるようになったきっかけは、周囲に対する安心感を獲得し、治療薬に対して身を任せられるようになり、適切な休息を取れるようになったことが関係していると思う。
つまり生きることは大変なことだから、必要とされる休息が十分にとれていないと生きる意欲が湧いてこないということだ。

病気の人にしろ、健康な人にしろ、何らかのきっかけがあり生きる意欲が低下する場合があると思う。
私だって生きる意欲がいつもたくさんある訳ではなく、日々悩んだり、疲れきって重い気分でいると、生きる意欲がどんどん低下していく。
しかし適切な休息をとり、気分転換をはかることにより、再び生きる意欲は満たされていく。
今回彼女が「30歳位で死にたい」と呟いたのは、きっと生きる意欲が心の奥底で低下し始めていたということだろう。
東京の殺伐とした社会で生きるのは、それだけエネルギーを使うのだろう。
私は田舎で働き続けたい、都会じゃ身がもたない…と思ってしまった。

そんな彼女とは今日は皇居へ出掛けて、美しい庭園を眺めながらエネルギーを充電してきました☆
病気事情
障害と病気について考えてみたいと思う。
障害といえば「知的・身体・精神」の3つに分けて普通は考える。

知的障害は生まれつきのもので、進行性はなく、かといって改善するものでもない。
理由なく偶然知的障害児は生まれるので、本人にも親にも罪はないので、知的障害者福祉を国や地域が保障していくのは妥当である。

身体障害は生まれつきの場合もあるし、交通事故や不慮の事故で怪我をして生じる。
その他遺伝的素因や生活習慣が関係して生じることもある。(例えば糖尿病が悪化して失明・足切断・人工透析が導入されるのも身体障害に含まれる)
身体障害は若干本人の責任もあるかもしれないが、大部分は運の悪さが関係しているので、身体障害者福祉を国や地域が保障していくのも妥当だと思われる。

精神障害は生まれつきということはまずありえない。
普通に生活していて、精神疾患になる人とならない人がいて、なってしまう人の決定的原因が今のところ不明なので、なぜそこまで精神障害者福祉を国や地域で保障していく必要があるのだろう…と考える人は多いだろう。
しかし見方を変えれば次のようにも考えられる。
「精神疾患は、いつ誰が罹るか分からないので、精神障害者福祉は一番手を抜かずにしっかり保障していかなければならない分野ではないか?」~そのように私は思っている。

しかし私の父は違う意見だ。
「知的や身体障害はなってしまったら自分の力ではどうにもならないけれど、精神障害は気の持ちようであるから、知的・身体障害と同じような法で保障すべきではない。精神障害に手厚い保障をしたら、働かなくてもお金を貰えるので、みんな頑張って働かなくなってしまうに決まっている。」

皆さんは私の父のこの意見をどのように思いますか?
私はそういう風にしか精神疾患を捉えれられない父のことを最悪だと思っています。
娘である私は、幸いなことにも統合失調症を発症してしまったけれど、順調に薬を減らして通院も終了でき、その後再発することなく日常生活を送れて、しかも現在は看護師として普通に働いて稼ぐことができている…
そんな私の状態を見ている父は、この病気のことを一体どのように思っているのでしょう。
おそらく私がこの病気になったのも、高校受験のストレスと気が弱かったからで、自分でしっかりしようとすれば何とかなるものだと思っているのだと思います。
しかしそれは違うということは、当事者は一番分かると思います。
ただ「しっかりしよう、何とかして元気になって働きたい」という気持ちを持つだけじゃダメなのです。
回復のためにはもちろん心構えも大切ですが、それ以上に脳機能が物質的に正常に近づくことが大切だと思います。
心構えがどんなに出来ていても、脳機能が回復していないうちはすぐには生活が元の状態に戻れないことを、もっと周りの人は理解してあげるべきだと思うんです。
「しっかり働きたいんだけど、脳の調子が上手くいかないからすぐにフルには働けない。」…そんな時、フルに働けるようになるまで障害者年金を利用したり、各種サービスを利用したりしてやりくりしていくことは大切だと思います。

今後、精神障害者福祉が改善されるにつれて、どんどん制度的にはありがたい社会になっていくと思われます。
しかし法整備ばかりが先行し、「障害者自立支援法」などの名称が一人歩きして、法整備された背景の理解と、精神疾患そのものへの理解が進まない社会になってしまったりはしないでしょうか…
なったことのない人に「精神疾患を理解してくれ」とは言えないでしょう。
しかしもっとマスメディアが気を遣って精神疾患の現状を報道してくれたり、社会で活躍している人の中で「実は私は…」という人がいたら良いのではないかと思います。
例えば「うつ病」だと「木の実ナナさん」を思い浮かべるように、「統合失調症」なら「~さん」って身近な人をイメージできるようになったら少しは違ってくるのかしら…と思ったりします。

色々と社会の動きを見ていて、日々感じることがありますが、長くなりましたのでこの辺で終わりにしておきます。

福祉番組の話
5月2日はNHK教育テレビで「障害者自立支援法」が取り上げられていたので、それを両親と見ていた。
その番組では簡単にまとめると、「今まで知的・身体障害者のサービスは支援費制度でまかなわれてきた。これからは知的・身体に加えて精神障害者も利用できるような法を整備して、各サービス利用者には一部費用負担をしていただくようになる。」ということだった。
ゲストの一人は次のような意見を述べていた。
「知的・身体障害者は少ない障害者年金で生活しているのに、新しい制度になると、サービスに対して費用負担するしかなくなってしまう。すると経済的に圧迫されたり、使いたくてもサービスを削るしかなくなってしまう可能性が大きい」と。

確かにそうかもしれない。
しかし今まで何も具体的な法整備がなされずに、放置されてきた精神障害者問題を、これからもずっと見て見ぬふりを続けていくわけには行かないはずだ。
私は何でも新しく始めるには、問題は付き物だと思っている。
今回その番組が放映されたことによって、「障害者自立支援法」の周知には役立ったと思うが、それが多くの人に正しく理解されたかどうかは疑問である。
私は3月に行われた「メンタルヘルスの集い」で、厚生労働省の障害者保健福祉の企画担当の役人の話を聴く機会があった。
大変分かりやすい話で、国がどういう方向性を持って、障害者福祉を改善しようとしているのかがよく分かった。
もし私がこの番組制作の側だったら、法を考えた人をゲストに呼んで、「なぜこの法律が必要か」「この法律のすばらしいところはどこか」「もしこの法律が施行されたとして、考えられるあらゆる問題点とそれらの対策はどうなっているのか」「今後の展望と、これから準備しておいたほうがいいことは何か」など具体的に且つ分かりやすく質問していくと思う。
そういう意味では今回の番組はもったいなかった。

これから障害者福祉はどんどん変わる。
私たち精神障害者にとっては、歓迎できる方向に変わっていくことはまず間違いないだろう。
ただそれをどれだけ正しく理解して、周囲が精神障害者に対して理解を示せるやさしい社会なっていくかは、その場にならなければ分からない。
私はどの人も気持ちよく自分に合った働き方が出来る社会になることを切実に望んでいる。
仕事病
最近かなりひどくなってきてしまった…仕事病。
私の場合、仕事柄ナースコールの対応をしたり、モニターの音を気にしなくてはならないため、「ピンポーン」とか「ピッピッピッ」という音が耳に焼き付いてしまって、中々離れないのだ。
特に仕事中に鳴ってもいない音が鳴っているような気がして、何度もその場に行って確認したり、看護師専用PHSを確認してしまう。
なので仕事において相当な時間ロスが出てきてしまう。
こういったものは幻聴の一種なのだろうか…。
それとも単に空耳と片付けて良いものなのだろうか。

以前にも大好きな飼い猫が頻回に夜遊びをしていた頃、常に猫の声が聞こえているような気がして、何度も窓を開けて外を確認してしまっていた。
私の場合、常に何かを気にしていると、そのことが頭から離れにくくなって、気分的な問題を頭の中で音として錯覚してしまうのだと思う。
今のところは聞こえないものが聞こえることはあるけれど、聞こえているものが聞こえないことは少ないので、多少時間ロスはできてもそれなりに仕事になっている。
それに仕事場を離れてしまえば、頭の中でナースコールの音が感じられても、無視すればそれはそれで済んでしまうので大丈夫だ。

はぁ~。。
聞こえないはずのものが聞こえてしまうように知覚されてしまうことの悲しさ…私だけなのかな。
病気の症状なのか、看護師は誰にでもよくありうる事なのか分からないが、とにかく看護師は大変だなぁ~とつくづく感じている日々である。