私の感覚 2005年06月
私の感覚
33歳の私が日々考えていることをサックリと文章にしています☆
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ようこ

  • Author:ようこ
  • 看護学校3年生からお気楽主婦になるまでの私生活のブログです。気ままに思ったことを綴っています。私自身、統合失調症を患っており、病気を抱えながら働くことの大変さを実感しています。2009年6月に第一子を、2015年5月に第2子を出産。今は1歳と小1の息子を囲んでの幸せで大変な生活を楽しんでいます。より多くの人が統合失調症を理解してくれることを願ってます。
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これから
今日は病院へ行って退職願を出してきました。
解雇にされなかっただけでも良かったと思わなくてはいけないでしょう。
その後、パートに切り替えてすぐに働けるのだと思っていただけに、「パートですぐに働いてもらうのは難しい、もう少し様子を見ないと心配だ」というような事を言われ、正直凹みました。
このままだといつになっても働けない、様子を見ましょうと言いつつも、本当は雇う気はあまりないのではないか?と肌で感じ、もうこの病院で働く事は諦めようと思いました。
まあ、今日一日色々あったけど、これで一つの区切りがついたのでほっとしています。
これからの事は早急に考えて、ボラバイトしに出かけようと思っています^^
ゴロゴロ
今日は涼しかったので一日中寝ていた。
ただゴロゴロしていたのではなく、ぐっすり眠っていたのだ。
恐らく一日の3分の2くらい寝ていたのではないか…
でも不思議な事に、こんなに寝ても頭はスッキリしない。
かえってだるいのだ。
何事にも程々が大切だよなぁ…って思った日だった。
入院中のこと~保護室編~
初めての入院、どんな感じなのかドキドキしていた。
入院が決まると看護師に連れられて別室に行き、ボディチェックを受けた。
制服を着ていたので、ジャージが貸し出され、それに着替えるように指示された。
そして危険物を持っていないかどうかボディチェックされた上で、保護室へ案内された。
「保護室」…名前は優しい感じを受けるが、その実際はまるで留置所のような重々しい雰囲気の所だった。
冷たいタイルの床に、重い鉄の扉、窓の替わりに廊下との境目には鉄格子がはまっている。
部屋にあるのは一組の布団と、きんかくしのない和式便所、一回分のトイレットペーパー、ペットボトルに入った水だけであった。
時計もカレンダーもない殺風景な部屋。
ただじっと寝ていろということなのか?
心の病気なのに、寝ているだけで本当に治るのか?
身体は元気だから、何かやりたくてうずうずしていた。

実際に保護室で生活してみて、不便を感じた事がいくつかあった。
まずはトイレットペーパーが足りない事。
いたずら予防のために1回分ずつしかくれないのだが、下痢をした時に拭ききれなくて困った。(もちろん私はいたずらなどしないのだが、前にペーパーを便器に全部入れてしまった人がいたので、それ以来1回分ずつ渡すようになったらしい。)
次に入浴が週に2回しかなく、下着を替えたいといっても変えさせてもらえなかった事。
女性ならば毎日下着を替えるのが普通だと思うのだが、許されなかった。
他には食事は鉄の扉についている小さな窓から、毎回投げ入れられていったため、お碗に入った牛乳が半分くらいこぼれてしまい、全部飲めなかった事。
また、トイレの水は部屋の外から操作して流すようになっているので、気の利かない看護師の時は、臭い思いをしながら食事をするしかなかった。
運動不足の為、便秘になりそうだったので、一人でストレッチ運動や筋トレをしていたら、ひそひそ声で「おかしい行動をしている」とささやかれた。
とにかく数え上げればキリがないくらい、不便を感じていた。
私が看護師に何か言えば、頭がおかしいとか、多弁傾向だとかささやかれる。
だから次第に私は看護師たちが嫌になり、面倒な事は避けて、我慢できるものはじっと耐えるようになった。

保護室に入っていて、思い出に残っている事もある。
それは他の患者との会話だ。
保護室は横に5室くらい並んでいるので、声を出せば鉄格子沿いに会話が出来る。
それを利用して、私は他の患者に声をかけ始めた。
自己紹介や、今困っている事を話したり、看護師に対する不満や、暇つぶしに何をしているかなど語り合った。
時には皆で知っている曲を合唱する事もあったくらいだ。
何もやる事がない中、私が正常でいられたのは、周りの患者仲間が支えてくれたおかげだと思っている。
私が入院中に接した看護師は数多くいるが、その中でたった2人しか話せる人はいなかった。
他の看護師は初めから私達患者を特別な目で見ていて、私から色々話そうと思える相手ではなかった。
「心開いて」自分からたくさん気持ちをぶつければ、相手の看護師も応えてくれたかもしれないが、病気の私にはそんな勇気がなかった。

保護室に入っている患者同士は普段、顔を合わせることはない。
しかし同性に限り、入浴の時だけは一緒になる。
私は当時起立性低血圧がひどくて、急に立ち上がるとくらくらしてバタンと倒れる事が良くあった。
ある入浴日、保護室を出て浴室に向かう途中、私は倒れてしまった。
そしたら隣の保護室の患者が「大丈夫?私なんてもう1ヶ月も保護室にいるんだから、がんばろうよ。」と言ってくれた。
私はその時、保護室へ入って1週間目だったので、大したことないや~頑張ろう!と勇気付けられた事を覚えている。
とにかく同じ立場であった患者仲間には大いに助けられた。
彼ら彼女らのおかげで今の私がある…と言えるくらいだ。

保護室に入って3日目に1泊2日の外泊をして、合計2週間程私は保護室にいた。
2週間目に入ると連日、夕方の1~2時間くらい保護室から出されて、女子病棟へ連れて行かれた。
そこで自由に過ごすように看護師に言われた。
私は何をしようか迷い、ボーっとしていたら、若い女の患者が数人で来てくれて、「いつから下に来るの?何歳?10代はいないけど20代の若い人は4人いるから、仲良くしてね。」などと声をかけてくれた。
保護室最終日、「今日はこのまま下に行ってもらいます。大部屋になりますから、決まりを良く守って生活して下さい。」と看護師に言われ保護室を後にした。

私は保護室を独房と呼んでいた。
保護されている…と言うよりも、一人にさせられている…と受け取れたからだ。
保護室は本来、患者の声が細やかに汲み取られる場所であるはずだ。
それなのに私の入院先では違かった。
看護師一人一人にもっとプロ意識があれば、より保護室は快適な場所になっただろう。
看護師は精神疾患を持つ患者に対して、不可解な行動があれば素直に「なぜそのような事をしているのですか?」と聞くべきであろう。
勝手な解釈をつけられたならば、それは患者の迷惑になる。
また一般病院と変わりなく精神病院でも患者の満足度充実のために、「何か改善して欲しい部分はありますか?」と問うべきであろう。

多くのことを学べた保護室生活であった。


入院までのこと
私が15歳の冬に入院するまでの事を振り返ってみようと思う。

学校で体調がすぐれず先生方に心配され、養護教諭と担任と母に付き添われて大病院に出かけたら、どこも身体的に異常がないらしく、精神科へ回された。
そこでよく眠れるからと言われ、注射を打ってもらい、意識が朦朧としている中、自宅へ帰った。
翌日、「休めば?」と親に言われるが、勝手に私はいつも通り学校へ行ってしまう。
その後は記憶がごちゃごちゃしていて、断片的にしか覚えておらず、回想不可能な感じである。
学校では授業は普通に受けたのだが、途中で集中力が途切れ、保健室へ行ってしまう。
そしてベッドで休ませてもらったが、足だけが冷たく全然眠れないのでずっと起きていた。
脳が全然休まらない感じで、何だかとても不安で横になっていられなくて、職員室に行ってみたりもした。
脳内ではどんどん考えが進み、考えても考えても答えが出ないことに更なる不安を感じていた。
考えれば考えるほど脳は縛られていき、どんどん頭痛がひどくなっていった。
今思えばそれは抗精神病薬の副作用で、急性ジストニアがでていたのだと思う。
脳の一部分が凍りついたように縛られて、首の筋肉が固くなって頭が傾き、眼球は斜め上を向いてしまい、段々自分の体が自由にならない感じがしていった。
学校に母が呼ばれ、再び大病院へ緊急で受診することになった。
学校から病院へ向かう間、周りの事は覚えているが、頭がどんどん固く縛られていく感覚が耐えがたかった。
病院へ着いて、私は歩ける状態でなかった為、車椅子に乗せられ精神科へ連れて行ってもらった。
待ち時間がやけに長く感じられたことを記憶している。
待っている間にも副作用はどんどんひどくなっていき、脳が9割方凍り付いて身動き一つできない状態になってから少ししてやっと、副作用止めの注射をうってもらった。
凍り付いて縛られいた脳が少しずつとけ始め、数分もすると完全に自由になった。
そしたら今まで縛られていた分の気持ちが一気に溢れ始めて、私は少しおしゃべりになった。
そのまま大病院へ入院するのかと思いきや、他の小病院を紹介された。
小病院へ行って、院長の面接を受けた。
「あなたには入院が必要と思われますが、入院しますか?」と聞かれ、「ハイ、入院してもいいです。」と答えた。
これが私の入院生活の始まりである。

ぶらり旅
今日はぶらり旅をしてきた。
バスと電車を乗り継いで2時間ちょっと、私の故郷へ行ってきた。
…と言っても誰が住んでいるわけでもない、もう私が社宅に住んでいた頃とはかなり違った風景。
それでも敢えて見に行きたいと思った。
駅を出て、以前私が住んでいたところへ歩いていく。
そしたら、もうその社宅にはほとんど人が住んでいなかった。
まるでゴーストタウンのような静けさ…
(あー、これが少子化ってやつか。それにかなりの社員がリストラされているから、社宅に入る人もいなくなっちゃったのかぁ~)と妙に納得してしまった。
変わったところが多かったが、中には変わらないところもあった。
私のお気に入りの公園もいくつか廻ってみたが、昔と同じ遊具があったりして、ちょっと嬉しくなった。
でもこんなに小さかったかなぁ…なんて思うことがあった。
それだけ私が大きくなったってことかな。
なにしろそこに住んでいたのは10歳までだったから。

今日は暑い中、半日歩き回っていたので、大分日焼けしてしまった。
かなり歩いたから、明日は筋肉痛かも^^
交通費くらいしかお金をかけない、かなり安上がりのぶらり旅でしたが、気分的に満たされた日でした☆
看護部長さん
今日はタイミングよく看護部長さんに会う機会がもてた。
そこで私は「病気欠勤を取らせていただきありがとうございました」と言った。
そしたら座って少し話す時間をとっていただけた。
私は薬が自分に合っていたため、すごく楽になったという事を伝えた。
また今後も同じ病院で働いていく事が私の希望だと伝えた。
「決して焦る事はないですからね、自分の健康が一番大切ですから。」とのお言葉に温かさを感じた。
そして今後の働き方に関しては、病棟の師長とも話し合うように言われた。
何だかホッとしたひとときであった。

私は正直な所、病院関係者の多くは中途半端な知識があるだけに、精神疾患について偏見が強いと思い込んでいた。
だから自分が病気欠勤をとり始めたとき、クビも覚悟していた。
そんな状況であっただけに、今私が置かれている状況は最善の結果だと思っている。
働く部署はどうなるかまだ決まらないのは不安だけど、とにかく何らかの形で働き続けられるんだ…というのがすごく嬉しい。

明日は日曜日。
7月から再び働き出したら、遠出する気力もなくなってしまうだろうから、遠出してこようと思う。


医師の目
私の主治医は観察力に優れている。
今日、私は昼食後の昼寝をせずに午後からの外来通院へ出かけた。
その為か少々眠く、だるい感じがしていた。
そしたら私の主治医はすかさず「少し元気ないようですね…」と言った。
鋭い…さすがだ。
何だか昼間からたっぷり昼寝しているのは、怠けているような感じが自分でしてしまう。
しかし主治医は言った。
「たくさん眠って、昼寝が出来るくらいがちょうどいい。
毎晩8~9時間くらい眠れているならば僕も安心できます。」と。
そんなものなのかなぁ…。
その言葉を信じて(^^)早速帰ったら昼寝をしてしまった。
音楽を聴きながらボーっとしていたら、いつの間にかに深い眠りについていたのだ。
起きた時に頭の中がスッキリして、先ほどまで不快に感じていた頭痛がさっぱりなくなっていた。
眠るってすごく私の健康のためには欠かせない事なんだなぁ…としみじみ思いました。
最近暑いから、余計に体力が消耗している気がします。

こねる
こねる。
力を込めてギュッギュッとこねる。

強力粉300g、砂糖16g、塩5g、ドライイースト6g、ぬるま湯180g、マーガリン15g

マヨネーズパン。
生地を醗酵させるとふんわり膨らむ。
イーストの生きた匂い。

ころころ丸めて休ませる。
再びふんわりした生地を伸ばして、くるりと丸める。
ナイフでシャッと切り目を入れて、マヨネーズ搾り出す。
パセリをふって、溶き卵を塗って、さあ焼こう。

しばらくして、いい匂いが漂ってくる。
ああ、幸せだ☆
たまにはこんな贅沢も良いだろう。

焼き上がり、こんがりした色で、ジュワァ~とマヨネーズが滴り落ちる。
ああ、うまそう☆
食べてみると、もっちりとした贅沢な味わいのパンに仕上がっていた。

パン作り、小学校で生活科の授業で作ったくらいで、ずっとやっていなかった。
でも久しぶりに粉をこねていて、気持ちがスッとした。
何かを一心にやる事、それが今の私に足りなかった事だった。
たまにはパンを焼こう。
そして精一杯こねよう^^
眠る方法
睡眠とは疲れを取るためにあるのだと思う。
だから日中疲れるような活動をしていない日は、当然睡眠の質は低下する。
昨日はまさに睡眠の質が低下した日だった。
一日の3分の2程眠っていたたため、夜眠ろうとしても脳が全く休まらなかったのだ。
すごく不快な感覚を持ちながらも、布団でゴロゴロしているうちに朝になった。
夜、普通の人が寝ている時間を心地よく眠りたいと考えるのならば、普通の人が起きている時間をしっかり自分も起きている必要があると思う。
そうしなければ、夜ぐっすり眠ることができるはずはないんだと思う。
睡眠薬を否定しているわけではないが、私は活動と休息の自然なリズムの中で睡眠を取りたいと考えている。
なので今日は午後3時以降は昼寝をしないと決めた。
そうすれば段々体が疲れてきて、夜9時過ぎる頃には眠気がやってくるだろう。
薬に頼る部分は頼って、薬に頼らなくてもいけそうな部分は生活を見直すことで乗り越えていきたいと思う。
遊び
子供の頃、私はどんな遊びをして毎日過ごしたのだろうか。
幼稚園生~小学校低学年は天気が良ければ外で遊んでいた。
公園で遊具を使って遊んだり、友人と鬼ごっこやボール遊びをして過ごした記憶がある。
学年が上がるにつれ、外で一緒に遊んでくれる仲間が減っていった。
私はテレビゲームよりも外で遊ぶほうが好きな子だった。
でも他の人は違うようで、外で少し遊ぶと誰かの家に行ってゲームをするようになった。
その頃からかな、私は外向的から内向的な性格になり始めていったのは…
外で遊ぶ仲間がほとんどいなくなり、小学4年生の時は最も私が荒れていた時期だった。
店から店へと次々と渡り歩いて、万引きを繰り返した。
不思議な事に誰もそれに気づかないので、盗むモノもエスカレートしていった。
万引きを始めて半年くらい過ぎた頃、やっと一人のおばさん(保安官)が私のことを捕まえてくれた。
(あぁ、やっとこれで万引きを止められる…)と、ホッとした記憶がある。
私にとって万引きは遊びの一種だったのだ。

それから引越しをして、小学5年からは新しい学校へ通い始めた。
そこは田舎過ぎて、公園も少なく、魅力的な遊具もなく、何をして遊ぼうか考えてしまった。
ボール遊びも一人ではパッとしないし、かと言って他の子に積極的に声をかけて遊ぶ気にもなれないし…
そこで私がはまりだしたのはテレビゲームと漫画だった。
お小遣いで漫画や小説を買って、読み漁り、それでも暇な時はテレビゲームにはしった。
テレビゲームをしても心は決して満たされないのだけれども、一人でいる淋しい空白の時間を埋めるのには十分だった。
また日中やる事がないので、参考書を買ってきて、勉強を始めた。
やればやっただけ出来るようになるので、勉強は楽しかった。
そして中学生になった。
中学生時代はバレーボール部に所属。
家に帰ってもパスの練習などに明け暮れた。
休日は部活の練習で疲れ果てて、ゲームをやる事はもうなかった。
私の青春時代、ズバリ勉強と部活であった。
今思えば随分健康的だったなぁ~と思う。
だけどそんな私の健康が崩れ始めたのは、中学3年の夏ごろからだった。
部活を引退した私は、毎日学校が終わると勉強しかやる事がなくて、悶々とし始めた。
夕方から勉強を始め、寝る間も惜しんで…というよりも、日中身体を動かす事が極端に減ったので疲れを感じないため、夜遅くまで勉強を続けた。
別に特別難しい学校を狙っていたわけではないが、勉強の他にやる事がないのでやっていただけの事だ。
この頃から私は遊ぶ事をしなくなった。

発病、そして回復。

高校入学し、新しい生活が始まった。
そこは勉強はいい加減にしていても、ラクに卒業できるような学校であったので、私もあまり勉強しなかった。
その代わりに部活や委員会、国際交流、園芸実習などに力を入れた。
私にとって勉強以外は全て遊びのような感覚で取り組んでいた。
すごく楽しかった、高校生活。
しかし進路を決める時期に、看護学校進学を希望した私は、再び勉強を始めた。
遊ぶ時間を惜しんで…。
その結果、希望の看護学校に進学して再び勉強を始めた。
勉強、勉強、勉強、大変だった。
休日は勉強の疲れを癒すのにゴロゴロしていることが多かった。
専門学校時代、私はどれだけ遊んだのだろうか。
趣味で始めたソフトボールくらいしか思いつかない。
あとは少し畑を耕した事かなぁ…
そして就職。
4月5月と働く事でいっぱいいっぱいで、今思えば遊ぶ事なんてほとんどなかった。
私の場合、休日は仕事の疲れを癒すためにあり、決して遊ぶためにあるわけではなかった。
そんな状況だったから、私に心の余裕などなく、日々いっぱいいっぱいで、どこか無理のある生活をしていた。
6月、もう身体が「無理だよ~」と言っているのが感じられ、上司に持病の事を話し、休暇をいただいた。
休暇をいただいた私は、初めの頃はぐったりしていたので、ゴロゴロしているだけで幸せだった。
しかしゴロゴロしている毎日が、次第につまらなくなってきた。
ここで普通の人ならば、何か自分の好きな事や遊びを始めるのだろう。
しかし私は遊ぶと言っても、もう遊ぶ事を忘れてしまった。
何して遊ぼう、何して今日一日の時間を潰そうか…考えてしまう。

私はある時、主治医に言われた事がある。
「この病気の人は休むのが下手なんだよね~」と。
確かにその通りである。
日々働いていく中で、ちょこちょこ上手い具合に休めていれば、こんなにぐったりしなくてもいいはずだ。
だけどこの病気の人は、休んで良い時に休めず、頑張り通してしまうので、普通の人よりも疲れやすいんだろう。
上手く休めるようになる事、そして遊ぶことの出来る人間になる事…それが今の私の目標である。
暗闇
昔は暗闇が苦手だった。
空が段々薄暗くなってくると、気味が悪くなり、真っ暗になった頃には怖いという感覚になった。
真っ暗だと何か恐ろしいものが出てきそうな感じがして、一人でいることが怖かった。
塾の帰り道、真っ暗な中を歩くのが怖くて、自転車をぶっ飛ばして帰ることがよくあった。
家に着くとホッとしたことを覚えている。

外の暗闇はもちろん怖いのだが、家の中の暗闇も怖かった。
小学生低学年の頃は、夜、布団に入っても中々寝付けないとき、母に物語を読んでもらった。
そうするといつの間にか寝付いていた。
しかし高学年になると、一人で布団に入って電気を消す。
目を瞑っても中々寝付けないので、何か楽しい事を考える。
楽しい事でも考えないと、自分が暗闇に呑まれてしまいそうで怖いのだ。
昔は布団の中で、何度も怖い夢を見て泣きそうになって起きることがあった。

でもいつの間にかに、夜が怖くなくなった。
なぜだろう。
中学3年生の時、夜寝る時間を惜しんで勉強するようになった私。
いつの間にかに夜が好きになっていた。
家族のみんなが寝静まっている中、一人でひっそりと勉強する。
そういう感覚が好きだった。
明け方に近づき、3時過ぎごろには鶏の鳴き声が聞こえる。
そうするとやっと私は布団の中に入って2~3時間寝ることにしていた。
だけどそんな生活は元々身体のことを考えれば無理だったのだ。
高校受験を目の前にして、私はおかしくなり始めてきた。
神経が過敏になるのだが、身体が疲れているという事を自分では自覚できず、無理を続けてしまった。
結果、統合失調症。
まぁ、当時は精神分裂病と言うしかなかったのだが、私には決して病名を告げられることなく、治療が始まった。

暗闇…入院中は怖くなかった。
夜目が覚めて廊下に出ると、同じく入院患者で眠れない人が歩いている。
私も廊下で座り込んで、ボーっとしている事があった。
病院は夜でも廊下の明かりがついている。
私は何度もトイレに起きていた記憶がある。

入院生活は辛い事や嫌な事ばかりだったけど、ふと懐かしくなる事がある。
私は入院中、いろんな人と話した。
今でも同じく入院していた患者仲間の事を思い出す事ができる。
15歳の冬、忘れられない貴重な経験をした。
この病気になって辛い事もたくさんあったし、今でも人並みに働けない事で悲しい思いもしている。
だけど何よりも素敵な仲間と出会えた事が良かったと思う。
病気になっていなかったら今の私はないのだから。

今日は暗闇の中、自転車を走らせて田んぼへ行ってきた。
そしたら蛍がポツポツと飛んでいた。
ああ、今年も蛍の季節がやってきたんだなぁ~と思った。
日々、あたりまえのように生活が送れること、ありがたいなぁと思った。
初シンセサイズ
今日は初めてシンセサイズの会合に出かけてきました。
池袋にたどり着くまでが大変で、やっとたどり着いたと思ったら(いけふくろうはどこだ~)って感じで、ぐるぐる回ってしまいました。。
シンセサイズのみんなに出会ってみて、色んな人がいるんだなあと思いました。
年齢層が幅広く、学生から社会人、パパママさんなど多くの人が参加されていて、シンセサイズも発展してきたんだなあ~と感じました。
普段地元で生活していると、病気のことについて話し合える機会は診察の時ぐらいです。
しかしシンセサイズでは、初めからオープンに話せるので楽でした。
会合の後はカラオケもあったようですが、人前で歌うのが苦手な私は、そそくさと家路につきました。
はじめは遠くまで行くのが億劫に感じていたのですが、今日思い切って参加してみて良かったです。
有意義な一日となりました。
疲れた
今日は東京方面へ母と出かけてきた。
本当は恐竜展を見ようとしていたけれど、すごい人で私がイライラしてしまい、見るのを諦めて親戚のところへ寄ってきた。
東京は人が多い。
特にイベントなどがあったら尚更だ。
前にも書いたけど、人にぶつからないように歩くだけで神経を遣ってしまう。
私はつくづく田舎向けの人間だなぁ~と感じた日であった。
友達
友達が家に来た。
夕飯を一緒に作って食べた。
のんびりしながら話をしていた。
心地よいひと時だった。
一人で過ごす夜よりも、ずっと幸せな夜だった。
友達のありがたさを感じた日だった。
切り昆布
今日は切り昆布を料理した。
…と言っても、生食用の切り昆布を、唐辛子醤油・つゆの素・みりんで味付けて炒め煮にするだけなのだが、私はすごく好きなのだ。
昆布独特の味が何ともいえない。
海草だから少し多めに食べてもカロリーは気にならないし、すばらしい食材である。
本当はそれに「さつま揚げ」や「かに風味かまぼこ」を一緒に炒め煮にすると、味に深みが出て上手いのだが、今日は家になかったので昆布だけで煮た。

今日の夕飯は、他には木綿豆腐の冷や奴と、かぼちゃグラタン。
全部食べきれず、グラタンは明日のために半分残した。
今日は美味しいものを食べれたし、よい一日だった。
国会中継~公の仕事とは~
今日も暇な毎日だった。
日中は特にやる事がないので、国会中継をラジオで聞いていた。
今日のテーマは「郵政民営化」について。
小泉総理の言葉で共感した部分がある。
「公共の機関が郵便貯金や保険などで儲けようと考えてはダメだ。そういうのは民間に任せたほうが上手くやってくれる。」という部分だ。
私はその事を聞いて、公の仕事とはどうあるべきかを考えさせられた。
公の仕事というのは、全ての人の幸せのために行われる事業であると私は思った。
だから少しでも儲けようとしなければならない事業は、公の機関が手を出すべきではないのだ。

国会中継は色んな意見が飛び交うので聞いていて飽きないが、その中でも相手を攻めなじるような激しい口調で意見する人が多いのが悲しいと思う。
本来ならばもっと意見をじっくり練って、お互いにとって結果はどうあれ、そこそこ納得できる結論を出せるようにするべきではないかと感じた。
もっと大人になろう!人間的に成熟した、間違った事は素直に詫びれるような人間に国会議員をやっていただきたい…そう思った。

今日は雨降り…家の中でゴロゴロしながらも、ラジオを聴いて頭を活性化させた日であった。
.だるさ
今日は朝から寝てばかりだ。
ここ数日張り切って動いた疲れが、一気に押し寄せてきたと言う感じ。
朝食を食べて寝て、昼食を食べて寝て、あまりにも動いていない自分にぞっとして、午後はサイクリングと散歩に出かけた。
自転車をこぐスピードもいつもよりゆっくりだ。
適当な場所に自転車を止めて歩き始めるが、足取りが重い。
何でこんなに私は疲れているんだろう…と、思うように動かない身体に嫌気がさす。
ジプレキサの影響か、仕事を休んで怠けているせいか分からないが、体重が少し増えた。
そして疲れやすい、だるさの残る身体。
気の持ちようも関係しているだろうが、あと3週間弱も休みが続くのだと思うと、相当うんざりする。
ブルーディではないが、何となく気持ちがブルーの日であった。
半袖日和
ここ2~3日、私は半袖を着ている。
暑さには強いほうで、私は夏でもホット緑茶を飲むし、7分袖の服を着るし、冷房は出来る事ならば使いたくないと思っているくらいだ。
そんな私が珍しく半袖を着ている。
理由は特になかったが、久しぶりに半袖を着たら、気分がさわやかになった。
半袖だと微熱があり火照っている身体が、心地よく熱放散ができている。

今日は初めてハローワークへ行ってきた。
今すぐ仕事を探したかったわけではなく、私はまだ一度もハローワークを利用した事がなかったので、どんな所か見てみよう…という気持ちで出かけてきた。
職業が大まかに分類されたものが、地域別にファイリングされていて、誰でも自由に見れるように並べられていた。
しばらくの間色んな仕事を見ていた。
そしたら私の職場である病院が出ていた。
パートで3人募集しているらしい。
いいなぁ、私もパートで働いてみたい☆なんて思ってしまった。
パートで働くメリットは何か?
どんな働き方でも責任が伴うのは同じだ。
ただパートは時間で契約された働き方だから、残業すればその時間だけちゃんと給料がでる。
正職員で働くと、よっぽどの事がない限り時間外での給料請求が出来ない。
ただ正職員はパートでフルに働いた時の1.5倍はお給料が貰える。
どっちもどっちで、それなりの良さはあるのだが、私の体力からしたらパートか日給月給制で働ける職場の方が合っているような気がする。

今日はサイクリングを1時間くらいして、散歩も40分くらいした。
今夜も心地よい眠りにつけそうである☆

料理
料理の本を見ていた。
家に今ある食材は何だっけ…と考えながら、作りたいものを探す。
よし、これにしよう☆と決めて、いざ作り始めると、(玉ねぎは嫌いだから抜いて、代わりに人参を入れよう)とか、(生姜は苦手だからニンニクにしよう)等と考えて、だんだん本と違うものになってくる。
そして仕上げの味付けに関しては、私は調味料を測る事をしない。
しょうゆだったら一回りして、砂糖は一振り、他にみりんや酒をたっぷり使う。
本に書いてある「大さじ1杯」等というものを、確実に実行した事のない私。
毎回作る料理の味はその時の気分に左右されるのだ。

今日のメニューは「揚げナス」と「すき焼き風(牛蒡・白滝・えのき)」とごはんである。
ものぐさな私にしては2品を作るとは上出来だ。
昨夜のホットケーキで夕飯を済ませたのとは大違い^^
今日は早い時間に夕飯を食べた。
今夜は早く寝て、また明日も早起きをして、気持ちの良い一日のスタートを切ろう。
早起き
昨日は夕方5時前から、疲れてしまい寝始めた。
そして夜7時過ぎくらいに夕飯を簡単に済ませ、また寝始めた。
夜中寝苦しくて何度も姿勢を変えたり、ベッドの下に下りたり場所を変えたりしながらも、朝まで寝続けた。
今朝は5時くらいに起きて、外を走ってきた。
早起きして身体を動かすのって気持ちいい。
夜遅くに寝て朝がゆっくりになるよりも、夜は早く寝て朝も早起きしたほうが気分爽快になれていいんじゃないか~と思った。
早起きして身体を動かしお腹が空いたところで朝食を摂れば、ますます健康になれるような気がした。
昨日はついつい食べ過ぎた1日だったので、今日は程よく運動できる1日にしていきたい。
雨だぁ~☆
雨降りの日は空気がとてもきれいな気がする。
長靴を履いて外を歩いた。
風が少しあったので、服が半分ほどびしょびしょに…まあ、たまにはそういうのも悪くない。

雨降りの中、今日は病院へ行ってきた。
この前と同じ医師だった。
薬の飲み心地も中々良く、不快だった頭痛もだいぶ軽減されたと伝えると、自分の事のようにすごくその医師は喜んでいた。
今日言われた事は、「この先今まで通りのペースで働くのは、少しストレスが大き過ぎるのではないか?」と。
確かにそれはそう思う。
正職員としてフルに働くことは、やれないことはないかもしれないが、かなりキツイと思う。
もし病院側が臨時職員やパート社員のような形で私のことを雇用してくれるとしたら、それが一番理想的な方法だと思う。
まぁ、そこまでして今の病院に固執して働こうとする必要はないのだが、やはり縁あって就職した場所だから、2~3年は同じ場所で頑張ってみたいという気持ちはある。
この先どうなるか分からないが、今できることをやっていく…
それだけのことだ。

仕事から離れて1週間ちょっとが経った。
4、5月は仕事ばかりで周りが見えなくなっていたが、6月は仕事を休んで少しは周りに目を向けられるようになった。
今月は2ヶ月間頑張ってきた自分へのリフレッシュ月間と考えよう。
シンセサイズの会合にも今月は参加できそうなので楽しみデス^^

もうそろそろ梅雨に入るのではないかと感じる今日この頃でした☆
微熱 2
5月17日も微熱というテーマで書いたが、今日も同じテーマで書こうと思う。
私の平熱は36.5℃くらいであるから、37.3℃くらいでかなりだるく感じる。
女性は排卵日を境にして低温期から高温期へ移行する。
高温期は平熱より約1℃体温が高くなるとされているので、私は病気な訳ではない。
これが普通なのだ。

今日は日中ずっと37℃台であった。
朝、布団の中で起きたばかりの体温を測ると37℃弱なのだが、日中活動をし始めるとすぐに37℃を超えてしまう。
気にしなくても良いほどの微熱なのだが、身体がだるくて疲れやすくて仕方ないので測ってみるとやはり37℃を超えている。
私は女でつくづく損だなぁと思う。
だってひと月のうち約半分は、微熱でだるい日が続くのだから。
微熱は薬で下げるほどでもないし、これが正常の身体のリズムなのだから…と自分に言い聞かせているが、やはりだるい。

たかが微熱、されど微熱。
私にとっての最大の女性問題である。。

話は変わるが、抗精神病薬を飲み始めてから、頭痛は7割方治まって、だいぶ楽になった。
この程度の頭痛であれば、日常生活に全く支障ないと思われる。
また睡眠時間は9時間程度で、その他、日中に1~4時間ほどの昼寝をしている。
昼寝は「眠いからする」というよりも、「身体がだるくて仕方ないから横になって休んでいるうちに眠ってしまう」という感じだ。
昼寝をした後はだるさも軽減し、一時的に頭がスッキリする。
何だか仕事を休み始めて、薬を飲み始めてから、身体が疲れやすくなった気がする。
気持ちの問題も多少はあるかもしれないが、とにかくちょっとした作業をしたり、本を読んだり、散歩しただけでぐったりしてしまうのだ。
こんなに疲れやすいようでは、仕事に戻ったとき困ってしまうだろうに…と思う程である。
なぜこんなに疲れやすくなってしまったのかが不思議だ。
明日は1週間ぶりの受診の日です。
この疲れやすい感じはどうしてなのか、聞いてこようと思います。



庭の緑
今の時期は植物がぐんぐん生長する。
ついこの前まで葉っぱだけだったのに、今日見たら蕾をもっていた…なんて植物たちがたくさんいる。
私の好きな植物たちを紹介しよう。
レモンタイム→名前の通り葉を擦るとレモンのさわやかな香りが感じられます!
ルー→葉は独特のにおいがしますが、私は好きです。花は黄色のかわいい花です。
ボリジ→まだ苗なので花は咲いていませんが、花は紫色の上品な感じです。
ラベンダー→今ちょうど紫の花を咲かせています。地植えにして2年目なので大分株が充実してきました。
タイム→ちょっと薬臭いような何ともいえない香りです。それがまた好きなんです^^
瑠璃球アザミ→これは昨年秋に種をまいたので、まだ花は咲きません。徐々に大きくなってきました。
他にも庭には色んな植物達がいます☆

持論
何が辛い事か?
それは「先の見えない休み」が一番辛い事だと思う。

例えば…
風邪で休む。
しかし風邪が治ればまた元の生活に戻れる。
育児の為休む。
しかし子供がある程度大きくなり手がかからなくなれば、また元の生活に戻れる。
ケガで休む。
しかしケガが回復すればまた元の生活に戻れる。
学校の長期休暇で休む。
しかしまた新学期が始まれば元の生活に戻れる。

だけど統合失調症で休む。
しかし先のことは誰にも分からない。
私が戻りたいと言っても、職場が許さなければ無理な話だし、職場から休みは終わりだと言われても、私の体調がついていかなければそれは無理だし、難しい所だと思う。

別に私は今、辛いことばかりじゃない。
だけどやはり不安はつきまとう。
休日
先日かかった精神科の医師が診断書を書いてくれ、師長をはじめ上司の方々に特別な配慮をいただいたおかげで、1ヶ月の病欠をいただけることになった。
つまり6月いっぱいは看護師としての仕事は休めるという事だ。
正直な所、脳が少々疲れやすくて参っていただけなので、身体は元気だから1ヶ月も休む事に抵抗を感じてしまう。

さてこれからの休日、何をして過ごそうか…
まずは料理を自分で本を見ながら作る事をしよう。
仕事をしていた時は、疲れていてゆっくり料理する事がほとんどなかったからなぁ。
あとは天気のいい日は布団を干そう。
夜はふかふかの布団で気持ちよく眠りたいからな。
そして看護師として病院で仕事は出来ないけれど、疾患の病態生理や検査・薬について本で勉強していこうかな。
ここ2ヶ月、日々の業務に慣れるので精一杯で、受け持ち患者様の病気についてきちんと勉強する時間が取れないでしまったからな。
他には畑の除草もちゃんとしよう。
これからの時期は気合入れてやらないと、あっという間に雑草畑になってしまうからな。

まぁ、とにかく1日1日を大切に過ごせば、きっと1ヶ月なんてあっという間だろう。
人それぞれペースは色々だとは分かっていても、自分だけ仕事を1ヶ月も休む事に後ろめたさが付きまとってしまう。
でもそれが私なんだから、やれる範囲でやっていこうと思う。

お金が全てではないけれど…
今日は知的障害者の授産施設で働く友人と会って話をする機会があった。
その施設では1ヶ月一生懸命作業に励んでも、1~2万円しか賃金を支払えないそうだ。
中には企業(工場や農場など)に働きに出ている人もいるが、そういう人たちでさえ、時給500円が最高で、時給200円も貰えればいい方らしい。
決して怠けているわけではない。
彼らの持てる能力を十二分に発揮して仕事をしても、それだけしか給料として貰えないのだ。
もちろんそれだけではやっていけないので、障害者年金をもらってはいるだろうが、必死に努力した結果がその金額であるならば、気の毒な気がする。
そこの施設ではパン屋も経営していて、そのパン屋では知的障害者も働いている。
そのパン屋での経営目標は、知的障害者の社員に月5万円の給料を支払う事らしい。
しかしその5万円の壁は高く、中々届きそうにないとのこと。

私は仕事を持っている。
彼らの10倍近くの金額を貰っているが、私は彼らの10倍働いているわけではない。
お金が全てではないけれど、もう少し努力している人々にその努力に見合うだけの賃金を支払えないものか…と思う。
私は正直な所、今の給料は貰いすぎていると感じている。
大したことはしていないんだ、看護師って。
特に新人ナースは先輩に手取り足取り教えていただかないと、何も出来ないんだ。

給料ってどうやって決まるんだろう。
私は幸運な事に、自分の能力・努力以上の金額を貰っていると感じている。
だけど不運な事に、努力しても能力がそれに伴って上がらなかったり、他の要因により給料が満足に貰えない人がいる。
そういう人に対して、私は何がしてあげられるのだろうか。
ふと、そんなことを考えてしまった。

お金が全てではないけれど、お金があったら生活の幅が広がると思う。
旅行だって自由にできるし、美味しい食べ物も素敵な服も快適な住まいも…何でも手に入る。
ないよりはあった方がいい「お金」。
だけどお金が全てになってしまっては悲しい。
私は知的障害者の人と交流する度に「お金が全てではない、『幸せ』とは身近にもっとあるんだ」と考えさせられている。

自然満喫
今日は朝から散歩に行ってきた。
3時間程は歩き続けただろうか…
ひたすら歩いてどんどん道を進んでいくと、まだ一度も通ったことのない道が現れる。
この道はどこにつながるんだろう…などと考えながら歩き進んでいく。
田んぼの中、蓮沼の脇、河川敷…あちこち歩き回ってきた。

自然の中にぽつんと私が一人いる。
他に人影は見えない。
家も車も自転車もない世界。
虫の音、鳥の声、風で草木揺れる音、水の流れ…
人為的なものは何一つない、そんな世界に私はたたずんでいた。
「なんてちっぽけな悩みを私は抱えているんだろう!」
そう思った。
自然の営みの中で私たち人間も生きているはずなのに、日々些細な事で気を遣いすぎて自己破滅にエネルギーを向けてはいないだろうか?
もっとのびのびとお互いが気持ちよく生きていければ、どんなにか素敵な事だろうか…。

畑を後にして、後ろを振り返ると、カラスが10羽近くにぎやかな掛け声をかけながら飛び去っていった。
私はもし生まれ変わるとしたら、カラスになりたい…
そう思いたくなるほど、優雅な飛び方をしたカラス達だった。

家に帰った後、さすがに足がかなり疲労していて、3時間ほど爆睡してしまった。
ちょっと遅い昼食を食べ、アパートへ戻る。
たまには自然を満喫しに、遠出するのもいいものだなぁ~と感じた一日だった。





休み方の下手な人間
私は休み方の下手な人間なのだと思う。
普通の人ならば、仕事をしていても家に帰ってゆっくりすれば、頭の中は仕事モードからリラックスモードに切り替わり、自分のための自由な時間を満喫できるのだろう。
しかし私は違う。
仕事が終わって家に帰ると、仕事の振り返りをしたり、明日の仕事の心配をしてしまう。
ある意味仕事熱心とも言えるが、逆に仕事に対して真面目に取り組みすぎるあまり、人並みに休息が取れていないのだと思う。
だから普通の人よりも脳が疲れやすく、普通の人より早くダウンしてしまうのだろう。

薬を昨夜から飲み始めた。
あの後、上司から電話があり、「こんな時はどうしたらあなたのためになるか分からないけれど、しばらく休んでいいから。仕事をしてもっと状態が悪くなっては大変だから、病院の事は考えず、まずは自分の体のことを大切に考えて休んで…」と言われました。
私はまさかこんな返事を頂けるとは思っていなかったので、感動しました。
休んだ事で今後ちゃんと職場に戻れるかどうかは分からないけれど、今は休んでいいと言われた言葉をそのまま受け取らせていただこうと思う。
おかげで薬を飲み始めてから心身ともにゆっくり休む事が出来ている。
すごく長く続いていた不快な頭痛も軽減され、気分も楽になった。
ただ一気に楽になりすぎた分、ボーっとしたり、眠気がありすぎたりしている。
精神科への受診が1週間後なので、それまでに薬の飲み心地を様子見ながら、生活リズムを整えていきたいと思う。

やはり私にとって薬は必要なものだったのかもしれない…と再認識しました。
仕事等で神経を張り詰める必要がたくさんある場合は、適度に休むために私には薬が必要なのだろうと思います。


現状
辛い、今がそのピークの時期だ。
だけど自分が味わった辛さの分だけ、他人にやさしくできる気がする。
全てを投げ出して、何もかもを終わりにしてしまいたいような気分…そんな状況も、じっと我慢して、今を耐えれば先が見えてくるはず。
耐えよう、今はただじっと…
休めるだけ休んで、薬を飲んで、できる範囲で働いて…
どこまで持つかは分からないが、耐えて耐えて、少し時が過ぎれば、私は成長できているかもしれない。
誰だって辛い、生きるのは大変だ。
私は人よりも少し脳が疲れやすいんだ…そう思うことで乗り切ろう。

今日は精神科へ受診してきました。
受診前に発病してからの7年間の状況を簡単にグラフにして紙にメモしたものを持っていったのですが、それが大変分かりやすかったようで、担当医が感心していました^^
私の担当医は話しやすい人で、自分の状況を包み隠さず話す事ができました。
初対面の医師なのに、よくこんなに自分自身のことを話せるなぁ…と話をしながら自分で感心してしまうくらいでした。
やはり自分で病気のことを日頃から勉強し、自分の体調を事細かに把握できていたのが、診察をスムーズにできたことにつながっていたと思います。
医師の医学的な判断としては、「1~2ヶ月は治療に専念してもらうために仕事を休んでもらいたい」との事でした。
しかし事実上そんなに長い休みを取るということは制度的に不可能で、そんな事をしたら退職を意味することになります。
私は薬を飲み、様子を見ながらもう少し働き続けたい旨を伝えた。
担当医は「人それぞれ事情があることだから、とりあえず1週間分の薬を出すので、また来週受診するように」と言いました。
後は担当医が看護部長や看護師長にどう話して、どのような指示を出されるかが気になるところです。

出された薬は「ジプレキサ5㎎」です。
一日一回、寝る前に飲む薬です。
私が昔飲んでいた「コントミン」などと違って、錐体外路症状が出にくい薬らしいです。
私は昔ひどい副作用に見舞われた事が苦い経験になっているので、できる事ならば薬は使わずに何とか持たせたいと思っていました。
しかしここの所、睡眠を多めにとる等しても体調が思うように回復しないため、薬のお世話になるしかないかなぁ…と思うようになりました。
今日お世話になった医師の話によると、やはり私のように全く薬を飲まずに普通に生活できる人は珍しく、普通は再発予防のために薬を最小量用いていくのが一般的な治療法だとの事です。
まぁ、飲まないに越した事はないけれど、飲まずに調子悪いままでいるくらいなら、飲んでスッキリしたいなぁ~って気持ちでいます。
今日の夜から飲み初めなので、どんな飲み心地かドキドキです。
副作用が強く出ないといいなぁ…と思います。

自己責任
今日は上司に今後の事について相談してきた。
結局私が今おかれている状況については伝える事ができた。
だけど仕事の契約上、人事権がその上司にあるわけではないので、簡単に勤務を減らすとか配置転換をするということが不可能である事が分かった。
では私はどうしたらよいのか…八方塞の状態で自分でどうすればよいのかさえ分からない。
ただ一つ言える事は、全てを決める権利は自分にあるという事だ。
それはある意味恵まれた事でもあるが、自分で決めた事に責任を持ちなさい…というかなりシビアな状況だ。
結局私が選んだのは2日間休みをいただいて、その間疲労回復に努める事。
そして土曜日からまた普通に出勤すること。

本当は契約の段階で1年間は働きます…という約束で採用になっているから、もし今退職するとなったらルール違反なのだ。
しかしその上司は「もし身体がどうしようもない状態になって働けないようであれば、その時点で退職願を書いてもらえば私が通すから」と言ってくれた。
また「自分の健康が損なわれるまで無理して働かなくても、一度仕事を辞めてみると言うのも選択の一つだ」と言っていた。
とにかく「あなたがどうしたいかが一番大切な問題だ」と言っていた。
私は働きたいに決まっている。
誰だってせっかく働き始めてそこで頑張ろうと思っていた矢先に好き好んで辞めたいはずがない。
だけど体調が厳しいから、今まで通りのペースで仕事を続けるのが困難だ…ということ。

今私の置かれている状況は「一寸先は闇」って感じだ。
ちょっと頑張りすぎれば再発するかもしれない。
だけど今の職場にいる以上、中途半端な働き方は出来ない。
頑張り続けるか、全てを一旦終わりにするか…
頑張る度合いを下げる…というのが選択肢にないのが辛い。
どちらにもそれぞれリスクは伴う。
だけど私は敢えて挑戦する。
仕事を続ける事に…
何が今後起こっても自己責任の世界だ。
再発しても誰も恨まない。
すべては自分が決めた事。
精神科へ通院し、薬物療法をまた始める事も考えたが、定評ある医師なんて分からないし、もしまた薬を使用し始めるとなったら一週間ほどは仕事をせずに様子を見ていかないと、眠気や副作用の程度が予測つかず、自分の生活に薬を馴染ませる事ができないだろう。
だから今は薬物療法をおこなう事は見合わせて、睡眠を十分すぎるくらいにとることで、脳の調子の悪さを回復させていこうと思う。