私の感覚 2006年10月
私の感覚
33歳の私が日々考えていることをサックリと文章にしています☆
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ようこ

  • Author:ようこ
  • 看護学校3年生からお気楽主婦になるまでの私生活のブログです。気ままに思ったことを綴っています。私自身、統合失調症を患っており、病気を抱えながら働くことの大変さを実感しています。2009年6月に第一子を、2015年5月に第2子を出産。今は1歳と小1の息子を囲んでの幸せで大変な生活を楽しんでいます。より多くの人が統合失調症を理解してくれることを願ってます。
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久しぶりに
パソコンを久しぶりに開きました。
特別忙しかったわけではないのですが、何となくパソコンをやらずに数日過ぎてしまいました。
10月の仕事の山は、無事に何とか乗り越えられました。
・・・といっても、途中で精神的におかしくなりそうで、薬をいつもの2倍飲んだりしていました。
自己調節はあまりよくないと思いつつも、通院している暇がなかったのでそうしました。
で、改めて受診日に、調子の悪さを相談したら、ジプレキサを3mgから5mgに増量してもらうことになりました。
ベンザリンとは別れを告げていたので、今回はジプレキサの増薬で対応することに…
改めて飲んでみて、飲み心地はそう悪くない。
だけどやっぱり日勤の終わりごろになると、ちょっと調子の悪い感じが出てきてしまう…
難しいところです。
完全に不快な症状を消すのって、難しいなあーと実感しています。
しばらくはこの調子の悪さと、地道に付き合っていくしかないんだと思うと、少々憂鬱になります。
もっと自分のやりたい仕事で、もう少し楽な働き方をしたいと、痛切に感じています。
でもダメだ、ここで転職していたら、何もかも中途半端になってしまう、何とか続けてみなくては…と自分を戒めています。
統合失調感情障害
4連続勤務もあと2日を残すところとなりました。
今日はわりと落ち着いた日で、慌てることなく一日を終えられたので良かったです。
明日、明後日と何とか頑張りたいです。

今日はfantianさんが質問されていた、統合失調感情障害について述べたいと思います。
統合失調感情障害という病名は、私が学生時代に教わった教科書には書かれていません。
おそらく統合失調症と感情障害の造語なのでしょう。
感情障害とは、躁病、うつ病、躁うつ病の三つを指します。
なので統合失調感情障害とは、統合失調症と躁うつ病(?)の両方があるという事だと思います。
統合失調症の症状の中に、躁うつ病とかぶるものもあるので、診断はとても難しいのではないかと思います。
当然、治療も複雑になってくるのではないかと思いますが、いかがでしょうか?

統合失調症ではドーパミンの量を調節して、躁うつ病ではセロトニンの量を調節しなくてはなりません。
薬物療法も難しいのではないかと予想されます。

fantianさんの知識欲が満たされたかどうか分かりませんが、このくらいしか私にはコメントできません。

苦しみのない世界
お久しぶりです!
仕事は何とか頑張れています。
毎日クタクタで、パソコンを中々できずにいました。
コメントをくれた皆さん、ありがとうございます。

さて、今日は苦しみのない世界は幸せなのだろうか、ということについて考えてみたいと思います。
エホバの証人の教理では、この世が滅び、楽園が到来し、苦しみのない満ち足りた世界で、永遠の命を持つことができると教えられています。
その楽園で生きられるかどうかは、いくつかの条件があります。
悪い人々は全て滅び、いい人(罪を悔い改め、聖書をよく勉強し、その教え通りに生活する)だけが復活したり、生き残れます。
それでは、苦しみのない、満ち足りた世界とは具体的にどのようなものでしょうか?
戦争がない、病気がない、食べ物が十分にある、快適な住まいがある…思いつくのはこのくらいでしょうか。
苦しみのない世界で、人々は目標を持って、意欲的に生きることができるのでしょうか?
私は次のように考えます。
生きる上で、様々な問題や苦しみがあってこそ、それを克服するために頑張れるのだと思います。
何も目標のない、満ち足りた世界というのは、退屈だと思います。

それにもう一つ考えていることがあります。
病気の存在についてです。
病気と言うのは、いわゆる「生き方への警告」なのだと思います。
例えば、糖尿病。
生活習慣病の一つですが、これは車の普及台数と同じような曲線で患者数が増え続けています。
「もっと身体を使いなさい、運動しなさい」という生き方への警告です。
あらゆる細菌・ウイルス性疾患については、説明が難しいですが、私は自然との共存が可能になれば、そういった疾患は減っていくのではないかと思います。
人間が自然を省みずに、人間中心の開発・工業汚染を続けていく限り、病気はなくならないのではないかと思うのです。

それに障害についてはどうでしょうか?
たしかに障害がない方が生きやすいかもしれません。
しかし全ての人が同じように健康であったならば、思いやりや配慮は生まれないと思います。
障害があるなしに関わらず、全ての人にとって生きやすい世界を作ることが、今の私たち人類に求められている課題なのだと思います。

苦しみのない世界、一見それを私たちは追い求めたくなるかもしれません。
でも、よく考えてみてください。
苦しみがあってこそ、普通の何気ない生活が、とても幸せに感じられるのです。
よく日本人は「平和ボケしている」と言われますが、楽園で「幸せボケ」して生活するよりも、この世界で目標に向かって頑張る方が、ずっとステキではないでしょうか?
統合失調症、これは私たちに与えられた苦しみの一つにすぎません。

本の紹介
「私は誰になっていくの?アルツハイマー病からみた世界」
著者:クリスティーン・ボーデン、訳者:桧垣陽子
発行:クリエイツかもがわ、発売元:かもがわ出版 

上記の本を今日は紹介します。
本を読み始めて、彼女の偏頭痛とアルツハイマー病の症状が出ていく過程が、手に取るように分かりました。
それと同時に、自分ではどうしようもできない脳の微細な変化と向き合っていく難しさについて、考えさせられました。
多忙な上級行政官であり、3人の娘の母でもある彼女は、アルツハイマー病の診断を受けて生活が一変し、年金生活者として生きることになりました。
段々とできることが狭められていくのが自覚でき、何をやるにももどかしさが付きまとう…
どんなに大変な生活であるか、想像しただけでぞっとしてしまいました。
そんな中でも信仰を頼りに、日々前向きに生きておられるので、すばらしいなと感じました。
タイトルにあるように「自分が誰になっていくのか」という自我の崩壊を恐れていますが、その気持ちはよく分かります。
私も統合失調症という脳の微細な変化により、いつ自分をコントロールできなくなるかという不安があります。
彼女の本は、病気の症状に対する一つ一つのアプローチの仕方に、筋道が通っていて、納得させられます。
病気と共に生きるということは、症状に対する対処法を身に付けていくと言うことだと思います。
そういった面で、彼女は病と共に生きられていて、私たちを前向きな気持ちにさせてくれます。
機会があったら、皆さんご一読ください!
明日から
明日から今月の山に突入します。
4日連続勤務がそれぞれ1日の休みを挟んで、3回あります。
自分の中でかなりのプレッシャーになっています。
帰宅後夕飯作りもしなくちゃならないし、毎日洗濯物も待っている。
あー、気が抜けない日々が続くなぁ~とドキドキしています。

4連続勤務、私にとっては山ですが、世間のサラリーマン達は5連続勤務(月~金曜日)を普通にこなしているんですよね。
それに比べ、私は4日おきに休みがあるなんて、恵まれているんです。
だけれども現実は厳しい。
私の体力のなさが悲しくなってきます。

今日は4連続勤務前の休日。
身体は昼寝をして十分に休めましたが、気分的に明日からのことを考えると落ち着きません。
俗に言うサザエさん症候群みたい。
サザエさん症候群というのは、サラリーマンが日曜日の夕方になると、翌日のことを考えてしまい、気分が憂鬱になって、体調が下降してくるので、そう名づけられています。
働くのって大変。
だけど、それがやりがいにつながっているんだよね。
一日が終わると、充実した気分に浸れる。
それだけで幸せです。
病の本質を考える
統合失調症には様々な症状が現れる。
マニュアル的な統合失調症の診断基準(シュナイダーという人による分裂病の診断基準)を例に挙げて、病の本質に迫ってみたいと思う。
1、思考化声
これは思ったり、考えていることが頭の中で声のように聞こえるということ。
思ったり考えることが込み入ってくると、頭の中で声に出しながら整理していく癖のある人がいる。
その頭の中の声が、自分の思いや考えから来るものだと理解できていれば、正常。
だけどその声に翻弄されて、異常な程に疲れてしまったり、頭が痛くなってしまうようだと病的になる。
2、幻聴
 ①話しかけと応答の形式(幻聴の相手と対話する)
 ②自分の行為を絶えず批評するもの
幻聴とは幻の声が聞こえるということ。
ではその幻の声とは一体何なのか?それが分かれば、幻聴の本質を見抜けたことになります。
自分の中にある漠然とした不安や、何かに対する恐怖心が声となって、聞こえてくる場合があります。
私は急性期のとき、幻聴はありませんでした。その代わりに思考化声がひどかったです。
幻聴があることで、自分自身と対話しているのだと私は思います。
なんで今、その声が聞こえているのか?
何もないところに声は生まれません。
自分自身の想像力豊かな脳が、様々なことを考え、思い悩んだ末の結果が、声として脳の中で認識されるのだと思います。
幻聴を止めることが難しいのは、統合失調症の人は考え過ぎる癖があるからだと思います。
3、身体的被影響体験
  (例)電波がかかってきて動けなくなる
これは感覚が敏感になり過ぎるために起こるのだと思います。
私は急性期に、ただの水が甘く感じられる味覚異常がありました。
脳内神経伝達物質が過剰に放出されたり、受容体の感受性が高くなっているために起こるもので、薬でしか解決されない問題だと思います。
4、思考奪取、思考への干渉
5、思考伝播
これらは私はものすごくありました。
病がほぼ寛解してからも、しばらく残りました。
文字のごとく、自分の考えていることが、声に出して伝えなくても相手に伝わっているような感じがすることです。
ある意味この感覚は、多幸感に浸れます。
なぜならば、自分の思いを多くの人と共有しているような感覚になり、安心感が持てるからです。
だけれども、他人に知られたくないようなプライベートなことまで伝わってしまうような気がして、気が休まらない感じがありました。
なぜこのようなことが起こるのかは分かりませんが、物事を先回りして、だいぶ先のことまで考える癖があると、抜き取られる考えが多くて、余計に疲れてしまいます。
なので、薬を飲んで、余分なことは考えすぎないようにすれば、あまり疲れないようになりました。
6、妄想知覚
これは一般的な人々にとって了承不能な関係付けをすることを指します。
私は外の木々が強風に吹かれて揺れているのを見て、これは世界が終わるしるしだと感じました。
本気でその時は、この世が終わってしまうような感覚に襲われたものです。
だけどその考え方には、私なりに筋が通っていました。
私はエホバの証人という聖書を勉強する会に入っていたことがあり、そこの教えでは、近々ハルマゲドンというものが起こり、この世が滅びると教わっていました。
この世には様々な悪がはびこっており、そのハルマゲドンで全ての悪が一掃されると教わっていました。
私にとって、この世は悪に満ちすぎていて、今がハルマゲドンの時だと感じたのです。
だから強風であおられる木々を見て、これは神がハルマゲドンを起こしているのだと思いました。
一般の人には信じがたいことでしょうが、私は大真面目で世界の終わりを感じたのです。
妄想知覚は一般の人や医師には理解しがたくても、本人的には一応筋が通っている考え方なので、頭から否定するのは良くないと思いました。
妄想着想は多くの患者に見られますが、ほとんどの医療者は、その考えに至った経緯を細かく聴こうとしません。
だから「妄想着想」と了解不能なものだと決め付けてしまうのでしょう。
本当は新しい考え方を一つ示しているだけなのかもしれないのに…
7、感情・意欲・意志領域での作為体験
これは誰かに何かをさせられているという感覚を指します。
自分が誰かの操り人形になったような感じになるのです。
私もありました。
自分の身体なのに、自分の意思でコントロールできない。
自分というものが分裂して、半分は体の中にとどまり、半分はどこか遠い世界から今の自分を客観視している…
とっても変な感覚でした。
何をしても半分の自分がどこかにいっているので、無味乾燥な感覚でした。
生き生きとした生活が送れないのです。
自我の確立ができていないと、自分自身を大切にできず、誰かに身体を半分貸してしまい、100%の自分を実感できないのだと思います。
これから抜け出すには、私はかなり時間がかかりました。
自分というものがしっかりしていないと、身体も中途半端な感じに襲われるのだと思います。
まずは自分の考えを深めていくことが大切だと思います。

病の本質を見抜くこと、これが病を克服する過程で重要だと思います。
なぜこのような症状が自分には起こるのだろう、どうすれば症状を気にせずに生活できるだろうか…と考えていくことが大切だと思います。
草むしり
今日は2連休の1日目。
雨が上がっていたので、庭の草むしりをしました。
1ヶ月半くらい放置していたからなぁ…相当雑草が茂っていて、中々手ごわかったデス><
1時間程頑張って、だけど飽きてきて、また明日やろうと思い終了しました。
庭がきれいになったら、秋まきの草花の種をまこうかなと思っています。
100円ショップでストロベリーキャンドルの種を買いました。
クローバーのような葉っぱで、花は赤色です。
とてもかわいいので、気に入っています。
猫を飼っていると、家の中に緑を置くと、くいちぎられるのです。
なので植物は外で楽しむほかありません。
猫の食べる草の種をまいたものが、だいぶ大きくなってきたので、それを室内には置く予定です。

庭の朝顔とゴーヤはそろそろおしまいです。
ゴーヤは明日収穫したら、むしりとってしまおうかと思います。
今年は10本以上は収穫出来たかな。
中々の出来栄えでした☆