私の感覚 2009年09月
私の感覚
34歳の私が日々考えていることをサックリと文章にしています☆
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ようこ

  • Author:ようこ
  • 看護学校3年生からお気楽主婦になるまでの私生活のブログです。気ままに思ったことを綴っています。私自身、統合失調症を患っており、病気を抱えながら働くことの大変さを実感しています。2009年6月に第一子を、2015年5月に第2子を出産。今は2歳と小2の息子を囲んでの幸せで大変な生活を楽しんでいます。より多くの人が統合失調症を理解してくれることを願ってます。
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初の予防接種
かずひさが生まれて3ヶ月が過ぎたので、初めての予防接種に行ってきた。
かずひさはバアバに抱かれてスヤスヤとしていた。
熱を測って、のどが赤くないか診てもらい、大丈夫だとのことで、左腕にギュッと押してもらった。
しっかりやってもらったから、バッチリ免疫つくことだろう。
とりあえずやらなくてはならないことが一つ減った。
BCGが終わってホッとした。
今日明日と旦那は研修でいない。
だから実家の母が有給休暇をとって、かずひさの世話に来てくれている。
助かるなぁ~私一人じゃやっていけないもの。
母は今、かずひさを抱っこして、散歩に行きました。
今日は曇り空でパッとしない天気だけど、歩くにはちょうどいい感じです。

勾配
家族が今まで私があまりにも立ちくらみと意識消失が多いので、自動車も自転車も禁止されていた。
でもここ少しの間、調子が落ち着いているので、自転車に乗ってみようかなと思い始めた。
しかし自転車を久しぶりに出したら、錆付いていたのと、タイヤのバルブが磨耗していて、空気がすぐに抜けてしまうので、自転車屋さんに行って、メンテナンスしてもらった。
電球が切れていたので電球を交換して、切れた導線をつないでもらい400円、バルブを交換して800円。
1200円でエコの自転車を回復させた。
自転車をのるようになって思ったこと。
私の町は長崎じゃないけれども、坂がどこにでもある。
30分くらい走っていると、2箇所くらい坂があって、ゆるい勾配なんだけども、のぼりがやはり若干キツイ。
でも勾配に逆らって走っていくと、太ももをいい感じに使って、あー運動しているって気持ちになって嬉しい。
けっこう買い物の荷物が多いときついけれども。
勾配は平らな道よりも変化に富んでいて走る私にココロの潤いを与えてくれる。
人生楽ありゃ苦もあるさ~♪を鼻歌で歌いながら勾配を楽しんだ。
シンセサイズフォレスト
シンセサイズのページを見たら、ぷちシンセがシンセサイズフォレストに名前が変更され、新しくブログもできているのを発見しました。
私のブログのリンクの一番下に追加しておきました。
まだ見に行っていない方は、ぜひ遊びに行ってみてはいかがでしょうか?
10月1日に初会合あるみたいです。
私も行きたいですが、育児があるからちょっと…
でもそのうち参加したいです。
まだご存知のない方はぜひシンセサイズフォレストのブログをご覧下さい。
以上、お知らせでした。
秋咲きサフラン
秋咲きのサフランを、ホームセンターで買った。
298円のが200円に値引きされて置かれていた。
球根からはほんの少し芽が出ているので、順調に行けば花が見られること間違いないだろう、そう思って、購入。
「水入らずのインスタント球根」と書かれていた。
だからコルチカムのように容器に入れて、玄関においてみた。
日に日に芽が少しずつ伸びていく。
なんだかかわいくて愛着が持てる。
どんな花が咲くんだろう。
花が終わったら、どこに植えようか…考えてしまう。
うちの庭は狭いのだ><
コルチカムは生ゴミ堆肥を埋めたところに植えたので、きっと栄養たっぷりで、ぐんぐん成長することと思います。
コルチカムは私が大好きな花で、毎年一つ球根を買っては、花を楽しんで、その後どこかに植えています^^だから2箇所から今年もコルチカムが出てきました!
植物っていいなぁ。
頑張ってけなげに生きている感じがするから。
高温期
平熱の低い私にとって、37度弱はかなりキツイ。
高温期に入ると、だるくてだるくて仕方なくなくなる。
かなり参った。
鼻水もダラダラ垂れてくるし、頭は痛いし・・・
ニポラジンを母から大量にもらった。
朝と夕方に一粒ずつ飲んだ。
でもとめどなく鼻水が流れる。
掃除サボってるからな、ハウスダストのせいだよなぁ~と思いつつ。
友人はどうなっているかも気になるし。
色々ありすぎる。
旦那は無事帰ってきた。
サービス責任管理者研修だとかなんとやら・・・
まー頑張っているみたいでお疲れ様だ。
私も今日は疲れたから、早く休もう。
落ち着かないという辛さ
今日はある人から電話があった。
はじめて話す人だが、以前手紙をいただいていたので、状況は何となくつかめていた。
その方は私の2倍くらいの年齢の女性で、統合失調症に最近かかり、通院をして服薬しているのだが、落ち着かないのが辛い、との事。
具体例を聞いたら、歯を磨くのがしんどい、お風呂の湯船に浸かっていられない、などである。
歯を磨くのが億劫だったら、緑茶でうがいして寝ればいい。
お風呂の湯船に浸かっていられないならば、身体を清潔にしたら、カラスの行水でいいじゃないか、後で早くコタツでも出して、その中で温まればいい。
などと私は答えてしまった。
理屈は合っているが、温かみのない答え方をしてしまったかな、と我ながらに反省している。

実は今日、その方の電話の前に、看護学校の友人からも電話があった。
そしたら、その親友は先週の金曜日に、もう死にたいと思って、私が行っているかかりつけのクリニックに行ってみたとの事。
私はそれで医師は何と言っていたの?と聞いたら、「うつ状態ですね」と言われたとの事。
彼女は2歳の女の子の母親であり、総合病院の現役看護師であり、プリセプターと言って後輩指導の係りも担当している。
ここ数週間過労勤務がたたって、もう3日くらい全く眠れていないという。
今日はこれから夜勤だというので、私が彼女にアドバイスした。
①上司に「精神科のクリニックでうつ病と診断され、しばらく休職するように言われたので、10月の勤務に穴を開けるかもしれないのですみません」と伝えること。
②かかりつけのクリニックに、連休明けの朝一番に電話して、状態がすごく悪いのでなるべく早く診てもらい、診断書に休養が必要である旨を書いてもらい、それを職場の上司に渡すこと。
③休職したら、まず家の中を掃除と片づけをして、その間に今後自分はどういう働き方をしたらいいのかを考えること。
④休職できなかったら、病院を辞めることを考えてもいいし、うつ病は全く恥ずかしい病気じゃないから堂々としていること。
彼女は明日、夜勤明けでうちに来てくれることになった。
薬のこともあるし、今後のことも一緒に話して考えていきたいと思った。

今日は家族とかずひさの3ヶ月を祝って、焼肉パーティーをした。
両親がウチにホットプレートを持ってきてくれて、たらふく食べて、眠くなってきた頃に親友からの電話。
びっくりして、心配になって、1時間くらい話していた。
それを名残惜しいけど電話代が彼女が大変だと思って、こちらから用事があるといって切って、しばらくして、前述の方からのお電話。
私はなんだか今日は大したことをしていないのだが、気分的に疲れてしまい、夕方かずひさを抱きながら倒れそうになってしまい、旦那を呼んでバトンタッチしてもらった。
そのまま私は30分ほど横になってグラグラしている身体を何とか鎮めていた。
何もしていないのに疲れてしまう私。
どうかしている。
早く元気になりたい。
ちょっとやそっとのことでへこたれない体力と精神力が欲しい、そう思った一日であった。
スキルアップ
育児休暇中、私は看護を全くしていない。
不安がいっぱいだ、復帰してちゃんとやっていけるのだろうか。
しかも私は職場を転々としていたから、得意分野がない。
だからBLSという講習を受けてみたいと、漠然と思った。
理由は看護学校の友人が、BLSの講習を受けて、勉強になったと言っていて、私も関心があり、学んでみたいと思ったからだ。
BLSの講習とは、急変時の対応、つまり心臓マッサージ、人工呼吸、AEDの使い方をマスターして、正しい知識の下で対応できるようになるのが目標だ。
私は何の知識も経験も無い、ただの精神科なんちゃってナース。
もし目の前で患者さんが倒れたら、何もできないだろう。
命は大切だ。
目の前で患者さんの前であたふたして、何もできずにお星様になってしまったら、悔やんでも悔やみきれないと思う。
だからスキルアップしたいと思うのだ。
BLSの講習は、数ヶ月に1回の割合で、地域の病院を使って、消防署の人と、インストラクターのスタッフと、サポーターに教わって、講義と実技を受けて、最後に終了試験をして合格すると、認定証のようなものがもらえるみたい。
私は自動車免許講習で、人工呼吸とかやったけれど、上手くいかなくて苦労したなぁ。
今はほとんど忘れているし。
自分なりのステップアップがしたい。
5000円くらいでBLSの講習が受けられるというので、上司に相談して、4月頃にでも研修にいって勉強してみたいと思っている。
つながり
昨日今日と、中学1年生の時の友人が、ウチに泊まりに来ている。
彼女は特別支援学級に通っていた軽い知的障害のある女の子。
でも頑張っていて、中卒で10年間パートして7万円くらい稼いで、7万円くらい年金をもらって、アパートを借りて一人暮らしをしている。
今回は片道2時間くらいかけて、電車でうちにまで来てくれた。

理由は一つ。
親友だから。
会いたいと思ったから。

彼女は私の旦那の友人(というよりも知人に近い)と付き合って同棲していたのだが、ある日突然置手紙して、パソコンのみ持ってトンズラした。
彼女には「後で連絡するから、新潟へ仕事に行ってきます」と置手紙に書いてあったらしい。
それが8月はじめのこと。
でも半月待っても連絡が来ない。
しかも彼はケータイ代を払えなくて、彼女に7万円のケータイ代を払わせた挙句、お礼さえ言っていないまま消えた。
彼女は知的障害があるので、月に2回ヘルパーさんが来て、部屋の掃除を一緒にして、お金とケータイ代などの管理は市の福祉職員さんに頼んでやってもらっているみたい。
そんなレベルの子だから、彼に上手いこと利用されて捨てられたのだ…と思うと、私は彼に対する怒りがふつふつと湧いてきて、今でも許せない、アイツ。
彼女は3人姉妹で3人とも知的障害がある。
お姉さんは極軽い知的障害なので、手帳はなくて、車の運転もできる人で、今は5月に生まれた男の子の子育て中。
彼女は軽度の知的障害で2級の手帳を持っていて、月に7万円くらい年金をもらっているそうだ。
弟はてんかんと知的障害が重くて、施設入所しているみたい。
母親は親の介護のために、九州の田舎の実家に戻り、連絡はたまにしか取らないようで、父親は精神科病院に入院中。
彼女が頼れるのは、私と、ヘルパーさんと、市の職員さんだけらしい。
かなりキツイ日々だろうと思う。
私なんてみんなに頼れているから、すごく幸せで恵まれているんだなぁ~と思った。

中学1年の秋に、彼女は家庭の事情で児童擁護施設に入るために姉と一緒に転校した。
その後も手紙のやり取りを続け、昨年の夏、彼とうちに泊まりにきた。
今年は彼は消えたから、彼女一人で泊まりに来た。
不思議なご縁だ。
こうやって人とのつながりを大切にして、日々過ごすこと。
これが私の生き方だ。
争わないこと。
悔しかった。。
私が抱っこしていても、いつになっても泣き止まない。
でも旦那が抱っこしてくれたら、すぐに泣き止んだ。
超*悔しい。
私が産んだのに、私だってがんばっているのに、愛情注いでいるのに、懐いてくれないの?
旦那は9割方子育てをしてくれている。
0.5割がヘルパーさん。
そして残りの0.5割が私。
私って何もできていない。
悔しい、負けている。
旦那には泣き止ませるコツが分かっていて、私じゃ泣き止ませられない。
悔しすぎる。
…って旦那に言った。
そしたら「そんなことで争ったってしかたないだろう。
お互い協力しているからいいじゃないか。
ようこは家事をやってくれて、俺が育児をしている。
立派な分担をしているじゃないか。」
…と、返された。
うん、たしかに争うべきじゃない。
だけど何となく悔しいんだよなぁ~
誰か私のこの感覚、分かってくれるかしら?
空想画
中学校1年生の時の話だ。
一学期はオール5だった。
美術は一学期はレタリングとグラデーションの作成。
緻密な作業を淡々とこなすのは好きで、けっこう楽しくできた。
二学期、美術の課題は空想画。
「はぁ?空想画??」
(空想と言うことは、現実にないものを描かなくてはならないということか。空想なんてしたことがないし、現実主義の私にはそんなものを書けるはずがない。現実にないものが空想と言うことは、見た事がないので描くことは不可能だ)
ひねくれ者の私はそう思った。
毎週美術の時間は、喜多郎の幻想的な音楽に包まれ、私は空想画って難しい・・・とため息をつきながら、雑誌をパラパラとめくっていた。
結局二学期の課題は提出しなかった。
先生は夏休みでも出してくれれば、3学期の成績を考慮しますよ、と言ってくれるし、悩みがあれば相談にものりますと言ってくれました。
でも私の場合、悩みというより、空想ができない性格なので仕方ないと自分で思い、相談しませんでした。
結果、2学期の成績は美術は1、その他全部5でした。
担任の先生が、「どうして美術の絵を出さなかったの?1がついているけれど、美術の先生は本当は1を付けたくなかった、空欄にしたかった。完成した絵を見てから、評価したかった、と言っていたよ。」と言っていました。
でも私には空想画は描けませんと正直に言って、結局完成させないまま中学を卒業しました。
3学期の成績は、二学期1だったから、5にはできないらしく、4でした。その他は全部5でした。

統合失調症になってから、私は空想が好きになりました。
現実にありえないことを空想して、一人で楽しむ時間をもてるようになりました。
高校時代は好きな絵を描いていいとのことで、私は虹色の猫を描きました。
モデルはウチで飼っているしろねこです。
タイ語でメーオと猫のことを言います。
虹色の猫の脇に、タイ語でメーオと描きました。
バックは黒。虹色の猫が浮かび上がっています。
これこそ空想画でしょう。
空想画が描けなかった、真面目すぎた中学1年生。
他の人が空想できるのが不思議で仕方なかったなぁ・・・
変人だった、ってことでしょうね。私は。

不吉な夢
ここの所毎日不吉な夢を見て、目が覚める。
内容は朝起きたら、かずひさが冷たくなって死んでいた・・・というもの。
乳児の突然死と言うのは、実際にあるらしく、うつぶせ寝と、家族の喫煙で確率が高まると聞いている。
予防法はないらしいから、怖い。
実際に起きたら、すぐに見つけ次第心臓マッサージと人工呼吸をして、救急車を呼ぶのがいいらしいが、でも突然心臓が止まるので、突然死は見つけたらほぼ助からないと、小児科医は言っていた。
仕方がない、突然死。
それでは不安で不安で仕方ない。
不吉な夢だ。
もしかずひさがいなくなったら、私はどうしたらいいんだろう。
途方にくれて、生きる意欲を失ってしまうのではないだろうか。
不吉な夢は私にどんなメッセージを送っているのだろう。
もっとかずひさに関わりなさいと言うことなのだろうか?

コルチカム
土に植えなくても球根からつぼみが出て、花が咲くんです。
コルチカムって言う花で、一重と八重咲きのがあり、今年は一重のを買ってみました。
昨日つぼみに薄っすらとピンク色がかかり、今朝見たら二つ花が咲いていました。
とてもキレイで幻想的な花です。
花が終わったら、庭の隅に植えておこうと思います。
葉が出て、来年に備えて冬眠すると思います。

秋植えの球根を植えたい!そういう気持ちがふつふつと湧き出ています。
チューリップがいいかな、クロッカスがいいかな、ムスカリがいいかな…
去年のプランターにはムスカリが芽を出しています。
肥料をあげなければ・・・
余裕がある暮らしをしたいです。
春になって、息子と花を眺めるのが楽しみですね。
筋肉痛
昨日のスロージョギングのせいかであろうか?
大腿部がかすかに痛い。
これはもしや筋肉痛?
でもへこたれない。
私も前向きになってきた。
今日もスロージョギングをした。
すぐに息があがる。
でもでもでも、続ければきっといいことがあるはず。
中性脂肪よ、下がっておくれ!
(妊娠して23kg太ったせいで、中性脂肪が3桁に跳ね上がってしまったのだ。)

今日はヘルパーさんが来て、色々話をして、ストレス発散になった。
他人が入ってくれるというのは、息が抜けるし、やさしい方だから、一緒にいてホッとする。
私も今日のヘルパーさんのように年を重ねて生きたいなと思った。



スロージョギング
何かやって、現状打破したい!そんな気持ちが強い。
今朝、5時過ぎに起きたので、外を走ってみた。
と言っても歩くのと代わらないくらいのスピードのスロージョギング。
5分くらい走ったけど、疲れてダウン。
いきなりは難しいわーと思った。
ま、毎日少しずつスロージョギングを続けてみたいなと思った。
まずは基礎体力の向上を目指さねば・・・
疲労と付き合う
私たち統合失調症患者は、抗精神病薬という見えない鎖でつながれている。
鉄格子に入っていた時代と同じ、不自由さを抱えながら生きなければならない。
私は今、ルーラン(20)とジプレキサ(2.5)がメインでやっているが、もの凄くしんどい。
赤ちゃんにおはようと言って抱きしめるのもしんどいし、ミルクをやるのも辛い。
おむつ交換にも異様に時間がかかってしまう。
何をするにもヤル気はあるのだが、身体がついていかない。
慢性疲労の状態だ。
かといって旦那に甘えて何から何までやってもらうわけにもいかない。
今日は慢性疲労のため半日近く寝て過ごした。
保健所と町の保健センターから保健師さんが二人来てくれる。
1ヶ月くらい入院して身体を休めた方がいいんじゃないかと言う。
でも私、1ヶ月も赤ちゃんと会えなかったら、気が狂ってしまうと思うな。
何が一番いいのか、自分でも良く分からない。
疲れた、ただそれだけ。
でも自分に甘くしていたくない。
赤ちゃんを旦那が沐浴し、その後のミルクを100ccあげた。
しんどかったけど、何とかあげられた。
それでも泣かれて、白湯を50ccあげた。
そして私に抱かれて、今眠っている。
何もしてやれない母親、自分に対する否定感情でいっぱいだ。
いつになったら元気になれるのだろうか。
命の恩人
8月の終わりごろ、私は入院した。
薬はかかりつけのクリニックでもらっているものと同じもの。
特段変わった点はなかったはずなのだが、子供と離れてしまったことによるストレスや、自分の気付かない部分でのストレスがあって、色々と考えすぎてしまったのだろう。
私は頭が痛くて痛くて辛かった。
自分ではどうしようもなくて辛くて、孤独で、しんどくて、もう生きていたくないと思った。
A看護師さんがベッドの所に来てくれた。
「もう生きていたくないです」と私は涙目で訴えた。
「ちょっと待っていてね、すぐ来るから。ノートを持ってくるから、絶対ここにいて待っていてね。」
そう言って立ち去る。
すぐに担当医に連絡してくれたようで、A看護師さんは戻ってきてくれた。
「今からあなたにいくつか聞きたいんだけれど、答えてくれる?」
「ハイ」
「何で生きていたくないと思ったの?」
「頭がもの凄く痛いからです。」
「他には理由はある?」
「疲れたからです」
「あなたにとって、疲れた、というのはどういう状態のことなの?」
「だるくて、色々考えすぎてしまって頭が痛くなって、ぐったりしてしまって動けないことかな、あと熱を測ると37度くらいの微熱が出てること。」A看護師はノートに私の言葉を書き込んでいた。
~以下省略~
医師がそのとき到着して、話を聞いてくれる。
「頭が痛いんだって?」
「ハイ」
「そういう時はいつもどうしていたの?」
「クリニックで出してもらった薬でPZCを頓用で飲んでしのいでいました」
「看護師さんには薬を飲みたいですと伝えた?」
「いいえ。」
「どうして言わないの?」
「A看護師さんが、『頭痛がするからと言ってメジャー(抗精神病薬)を飲む意味が分からない』と言っていたから、そうかと思って薬が欲しいとはそれ以上言いませんでした。」
「でもそれはA看護師さんの考え方で、あなたにはあなたのやり方で楽になる方法を選んでいいんだよ。なにもA看護師さんも、PZCを飲んではダメと言っているわけじゃないんだから。」
「分かりました。」

その日はそれでやり取りが終わった。
翌日、私はA看護師さんのことが大好きになって、もっと話がしたいと思った。
忙しいとは聞いていたが、どうしても話がしたい、そう思って他の看護師を通して、A看護師さんと話がしたいです、と言った。

私は入院してから4日間の間に100回くらいバタバタ倒れていた。
立った時の立ちくらみが1割、残りの9割は原因不明で急に意識が薄れてバタンと倒れる。
そのため、病棟のスタッフは私が倒れることに対して原因が分からず混乱していたようだ。
私はしだいに病状が悪化していき、自分の部屋がどこかも分からなくなってしまった。
A看護師さんが私の事を見て言った。
「あなたの中で何が起こっているの?」
「・・・・・」
「あなたはただの休息入院のつもりで、元気な姿で入ったのに、もう100回以上倒れているわよ。
あなたの中で何かが起こっているから、自分の部屋も分からなくなってしまうんでしょ。」
私はスーッと意識が遠のいていき、ベッドの縁に頭がぶつかりそうになったところを、A看護師さんが支えて、「ちょっと止めてよ。あなたが話したいと言うから来たのに、そんな状態じゃ安心して話ができないでしょ。」
「すみません、看護師さんを困らせたくてやっているわけじゃないんです。」私は泣きそうになった。
「あなたは看護師だから分かるでしょ。目の前で患者さんが原因不明で倒れたらどう思う?」
「困ります」
「あなたはじゃあ、どうして倒れるの?」
「・・・・・・・・よく分からないけれど、言いたい本当の気持ちがあるんだけれども、それを言えない自分がいるんです。辛いとか、悲しいとか、しんどいとか、疲れたとか、大変困っているとか。弱い部分を見せられなくて、神経張り詰めて生きているんです。でももう限界だって身体がSOS出して、意識を遠ざけているのかもしれないです。」
「きっとそうね。あなたは誰がみても疲れているように見えるもの。でもね、あなたが看護師だと思って考えてちょうだい。原因不明で目の前で患者さんがバタンと倒れるのと、患者さんが『頭痛くて辛いんです』と訴えに来るのと、どちらが大変?」
「倒れられた方がビックリします。」
「そうでしょ。だからあなたは、自分の気持ちを看護師に言いに来ていいのよ。」
「分かりました」

「今まで、辛くて辛くて辛くて辛くても、それをギュッと押し縮めて、クスリをがばっと飲んで、そしてまた辛くて辛くて辛くて辛くて辛くても、それをギュッと押し縮めて、クスリをがばっと飲んで、それを繰り返して耐えてきたんだね。」
私はこくんとうなずいた。
「辛かったね」A看護師さんは私のことをみて、ゆっくり言った。
私は涙がポロポロこぼれた。
(あぁ、はじめてこんなに分かってくれる人がいた。)そう思って、心が救われる想いだった。

命の恩人A看護師に「あなたの中で何が起こっているの?」と言われて、私が自己分析できなければ、私はいつまでも倒れ続けていただろう。
私はそのときを境に、一度も倒れなくなった。
ひどい立ちくらみはあるけれども、そのときはすぐにしゃがむ。
倒れない、絶対に倒れない、そうココロに誓った。
その代り、辛い時が100回あったら、1回だけ辛いと、心許せる人にだけ言おう。
辛い時が100回あったら、99回、ブログに辛いと綴ろう。
そう決めた。

たった一週間の入院だったけれど、ココロが満たされたし、勉強になった。
私ならば「あなたの中で何が起こっているの?」なんていう切り口で患者様には聞けないな。
こういう対応もあるんだと、勉強になった。
A看護師さんは私の命の恩人。
もっともっと話がしたかった。
今度、お礼にお手紙を書こう、と思っている。



腹にホッカイロ
お腹が痛くて、気持ち悪くて、どうしようもありませんでした。
夕方が特にひどかったです。
それで旦那にお風呂を沸かしてもらって温まりました。
少し楽になったのですが、まだまだ痛くて辛い。
そこで腹巻の隙間に、貼るホッカイロをペタン。
しばらくして効いてきました。
辛い痛みが何とかやり過ごせる痛みに減りました。
この暑い時期に貼るホッカイロ(苦笑)
冬の余りがしこたまあって、良かったなあぁとつくづく思いました。
ホッカイロは一年中、生理痛対策に必須です。
出産後、生理痛が更にひどくなりました。
もの凄い辛いです。
だって、生理が来る前からお腹がこんなに痛くて気持ち悪いんだもの!
生理になったらもっと激しいだろうな。
女ってつくづくしんどい生き物ですよね。
でも出産を経験できるから、女でよかったって思うな。
そんなわけで、今、鎮痛薬を飲もうかどうか迷っています。
薬漬けになるのも良くないしなぁ~なんて思いつつ。
ショック
私のかわいがっていたレモンタイムがプランターごと、一週間入院していた間に枯れていました。
水切れではありません。一体何が起こったのでしょう。
飼い主がいなくて淋しくて死んでしまったのかな?超ショックです。
かわいがって大事に育ててきたので。
でも唯一良かったのは、刺し芽していた子供が生きていたことです。
その子を大事に育てて、また立派なレモンタイムのプランターを作りたいです。
キレイなピンクの花を咲かせるのですよね。
日々雑感
私は15歳の冬、急性ジストニアで辛かった時、殺してくれ!と思った。でも注射一本によってスーッと脳が溶けていって、ラクになった。私はあの時、死んでいたかもしれないのに、現代医学の力によって命拾いした。だから15歳の冬よりの後の人生は、おまけだと思っていた。今まで辛いこと、沢山あったけれど、楽しいことも沢山あって、プラスマイナスゼロ、人生は皆平等にできているんだと思った。

私は一度死んだ。発病によって生き方が変った。今まで人生は真っ直ぐな一本道、後戻りも立ち止まってもいけない、進み続けるしかないと思っていた。でも今は違う。曲がりくねった道も真っ直ぐな道もあって、どれを選んでも間違いじゃない。立ち止まって、後ろに少し戻ってみてもいい、少しずつ進んだっていい、そう思えるようになった。

頑張ったら休む、休んだらまた頑張る、そんな単純なことが、中3の発病するまでは分からなかったんだ、本当に。人はなぜ生きなくちゃいけないんだろう、ずっと考えていた。でも私には発病して急性ジストニアが治った時に、答えが一つ出た。私は人と人の心を結ぶ存在であり続けよう、と。人は孤独だ。一人では絶対に生きられない。支え合える空間を作っていくこと、これがおまけの人生の私に化せられた使命だと思った。

私はエホバの教えで、悪い人は神が裁いて、いい人だけが永遠に楽園で生きられると教わった。永遠の命、本当にそんなものが欲しいのだろうか?私は命は短くったっていい、人生色々、自分が生きたと思えれば、永遠に生きる必要なんてない。それに永遠に生きたら疲れてしまうではないか。人は頑張って生きて、その頑張りが認められて、「もう頑張らなくてもいいよ」と神様に言われて寿命を迎えるのだと思う。だから死んだら人は塵に還るのではなく、先に行った人たちと再会して、また新たな人生がスタートするのだと思う。

一週間、私は家から片道4時間かけて病院に行って、入院した。
帰りは旦那が迎えに来てくれて、4時間かけて帰ってきた。
途中、高校に寄って、懐かしい先生方と再会した。
話に花が咲いて、2時間くらいいてしまった。
懐かしかった☆輝いていた高校時代。
今でも思い出すと、戻りたくなってしまうほどだ^^
またそのうち、入院中の話でもアップするとしよう。