私の感覚 2010年08月
私の感覚
34歳の私が日々考えていることをサックリと文章にしています☆
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ようこ

  • Author:ようこ
  • 看護学校3年生からお気楽主婦になるまでの私生活のブログです。気ままに思ったことを綴っています。私自身、統合失調症を患っており、病気を抱えながら働くことの大変さを実感しています。2009年6月に第一子を、2015年5月に第2子を出産。今は2歳と小2の息子を囲んでの幸せで大変な生活を楽しんでいます。より多くの人が統合失調症を理解してくれることを願ってます。
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妊婦さん
今日は小中学時代の友人がうちに遊びに来ました。
彼女は10月ごろ出産予定なので、お腹が丸く膨れていました。
幸せを分けてもらうためになでなでさせてもらいました^^
出産準備の品を教えてもらいたいと言うので、私は色々とアドバイスしました。
そして西松屋にレッツゴー!
あれは良かった、これは底値だからお買い得、お尻拭きはこのメーカが使いやすいかも…などなどアドバイスしながら育児用品を買い揃えていきました。
彼女のベビーも男の子らしいから、一緒に遊ぶ仲になってくれたら…と思っています。
妊婦さんは足腰痛くなったり、おなかが張ったり、トイレが近くなったり、大変だけれども、やっぱり幸せオーラを放っています。
私もまたそのうち妊婦さんになってみたいと思いました^^
卓球
今日は町のスポーツクラブで卓球をしてきました。
久しぶりの運動なので、勘を取り戻すまでにちょっとかかりましたが、思ったよりもいい運動になってよかったです。
これからも毎週月曜日は卓球に行こうと思います。
これがいいリハビリになって体力がつけばいいなと思います。

息子が歩き始めたので、西松屋で靴を見て来ました。
暑い時期は靴下を履かないことが多いので、サンダルがあればなぁ…と思っていたら、もう夏の終わりのバーゲンをやっているんですね。
700円くらいのサンダルが180円くらいになっていて、お買い得~と思い買いました。
服は頂き物がかなりあるので、買っていませんが、靴くらい新品もいいかな…と、ちょっとした贅沢気分です。


地域活動支援センター
今日は初めて地域活動支援センター(略して「地活」という)を体験利用しました。
行ってみて感じたのは、デイケアよりも『ゆるーい感じ』でした。
ふらりと来ては、自分のペースでそれぞれが帰っていく。
私も帰りは通勤ラッシュにはまりたくなかったので、3時半くらいで退散しました。
今日のプログラムは、午前;書写《硬筆》と俳句や短歌を詠む、午後;利き茶(ペットボトルのお茶の銘柄を当てる)でした。 
色んな方とお話ができて、気晴らしになりました。
地活でスタッフの方とお話しましたが、私が看護師だから利用してはまずい、と言うことは一切聞かれなくて、ホッとしました。
週に2回くらいは地活に行って気分転換するのもいいかなーと思いました。
心配していた車の運転も、特に支障なくすぐに勘は取り戻せました。
でも近場に行くのは、体力つけるためにも楽しないでチャリンコ利用しようと思います。

外出から帰ってきたら、ウチの2匹の猫が玄関のドアの前でゴロゴロして、「早くごはんくれよー」と訴えているようでした。
普段2匹は単独行動なのですが、相当お腹が減っていたのでしょう…2匹が仲良く並んでいたのには驚きでした^^
チャリンコ生活
今、私は自動車の運転を自粛している。
薬が少し多いせいか、眠気が生じることが多いのである。
朝5時ぐらいに早起きすると、気分爽快なのだが、あとで午前中に眠気が来る。
すると2時間くらい爆睡してしまう。
大抵昼寝が終わったら、買い物に行く。
夕方だと涼しくて行き帰りは楽だが、レジが混んでしまうのが嫌で、昼間のうちに買い物を済ませることにしている。
自転車をこいで10~20分くらいあれば、スーパーへ行けるので、運動不足解消にはもってこいだ。
自転車に乗るようになって、両腕が日に焼けてきた。
今まで私は色白で、不健康そうな人間に見えていたけれど、これを機にこんがり焼けてくれればなぁーなんて思っている。

デイケアの件は、せっかく紹介状を書いてもらって行ったのに、「医療従事者がメンバーに入ると、和を乱すから利用しないでほしい。あなたにはここのデイケアは向かないわ。」とあっさり言われ、一度もお試しさせてもらえずに、門前払いされました。
私は確かに医療従事者だけれども、今は仕事をしていないから患者だ。
腑に落ちない思いがあったけれど、無理に利用させてもらうこともできず、退散した。
かわりに「地域活動支援センター」と言う所を利用できるかどうか、明日見学の申し込みをしたので行ってきます。
車で30分くらいはかかるので、疲れるかもしれないけれど、とにかく行ってみようかと。
眠気が出ないように、今日は早めに休もうと思います。
疲れやすい。
私は今、もの凄く疲れやすいです。
昨日は約3700歩だったのに、一日の終わりには足が棒になるような感覚。
ぐったりしてだるくて、夜寝ました。
今朝は朝いつも6時半には起きるのですが、だるくて動けなくて、10時半ごろ起きました。
「疲れたからもう少し寝てるー」と言ったら、旦那が洗濯をしてくれて助かりました。
でも私はやってくれるのならばすべて任せればいいのに、気になって、色物と白い物をちゃんと分けて洗ったかとか、干し方がちゃんとなっているかとかいちいち確認してしまうんです。
確認される旦那も嫌だろうし、私も疲れるし、そのへんが気にならずに休めるようになればいいのに…と思います。
今日はこれから退院祝いに旦那とカラオケに行ってきます。
歌うぞー☆
無事に退院しました。
今日、診察があり、「外泊中どうでしたか?」と聞かれたので、「普通に大丈夫でした」と答えました。
先生は「じゃあ、病棟に戻って、退院日の相談をしましょうか…」と言うので、私は強引に「もう病棟は私にとってあまり治療的な環境とは言えないので、今日このまま退院を希望します」と持って行きました。
しかも「近々県立医療大のデイケアに通いたいので、紹介状を書いていただけますか?」とプッシュして、紹介状と2週間分の薬をゲットしてきました。
めでたく退院が決まり、心からホッとしています。
約2ヶ月の入院生活でした。
月曜日にデイケア担当の先生と面談をして、問題なければ通うことができそうです。
新たな出会いを楽しみにしたいと思います。

ここ最近、時間があるので、NHK教育テレビの「今日の料理」と言う番組を録画しておいて、暇な時気になるメニューだけ見ています。
料理に興味がわいてきたと言うか、子供が大きくなったら、色んな料理を食べさせてあげたいな…と思って、取り組んでみたくなったのです。
一昨日はプリンを作りました。
作り方はネットで検索して、一番シンプルなものを選んで作ってみたら、旦那にも好評で、息子もこれならば食べれそうかな…という出来でした。
色々とおやつとかおかずが作れるようになりたいです。

私はこういう人になりたい。
私はいつも頑張りすぎて、いっぱいいっぱいになって余裕がなくなってしまう。
余裕がないとちょっとしたことでイライラしたり、思いやりを持てなくなってしまう。
だから私は適度に頑張れて、余裕のある、周りに気配りできる人間になりたい。

私は子供を大切に思っているけれど、それがちゃんと子どもの心に伝わっているかどうか不安。
もう少ししてしゃべれるようになったら、「お母さん、大好き☆」と言われるようになりたい。

今まで仕事ばっかりを大切にしてきたけれども、「子供が小さい時は、お母さんが家にいて、やりくり上手でやっていくことが一番」と言われ、その通りだとおもった。
息子が1歳のとき、私は27歳、この瞬間は今しかない。
「やるなら今しかない」「失敗は成功のもと」と語り合った仲間の事を忘れない。
働くこと、それは60歳頃まで可能、あと30年ちょいある。
でも子育てを楽しむこと、それは今だけなのである。
私はそれに気付けて幸せだと思う。
子育てをしていて、息子に教えられることが多い。
気持ちの持ち方とか、相手を思いやる気持ちとか、泣いているときの対応とか、未知の世界だった。
生きるために必死になる息子を見ていて、私も頑張って生きていかなくちゃ…と思う。
子供と一緒に泣いて笑って、そして色んなことを考えられる母親として成長していきたい。

今回の入院で、作業療法の大切さ、面白さを実感した。
私は自分の職場に戻って、作業療法やSST、レクリエーション療法のできる看護師として成長していきたい。
私が私らしい仕事をするために、今という一瞬を常に大事にして多くの事を学んでいきたい。
私が私らしくあるために、病気を受け容れてくれる相手を大切にして、一日一日を大切に生きたい。
心の持ちよう
 私は間違っていた、薬の使い方を。辛い症状が出る→症状を薬で抑える→頑張る、の繰り返し。私は全く休んでいなかった。辛くても薬の微調整をして頑張れば、私は人並みに働けるはずだ…、そう信じて疑わなかった。私は自分で自分の逃げ道を絶っていたのだ。苦しいはずだった。
 私はF病院に入院中、再発してつくづく身に沁みた。薬を飲みつつ頑張ってはいけないという事。薬を飲んだらまず休む。そして症状が十分に取れて、余裕が出てきたらまた頑張る。その繰り返しなのである、生きると言うことは。
 私という人間はどんなに辛いことがあっても、淋しくて凹むことがあっても、頑張れるようにできている。むしろ頑張らないということが基本的にできないタイプなので、薬で頑張れなくしていくしかないのである。頑張っていけない時に頑張ってしまうから、この病気の人は薬で頑張れなくさせるしかないのである。でも薬では頑張る時と、頑張ってはいけない時の微調整ができない。だから常に眠かったり、覚醒しすぎて気分が落ち着かなくなったりしてしまう。
 もし私が薬を使わなくても頑張らないでいる方法が見つかり、リラックスできるようになれば、私は完治したと言えるであろう。もし私が薬を使っていい具合に頑張らないでいることができ、リラックスできるようになれば、私は寛解したと言えるであろう。
 私は頑張らない人生を送ることはできないが、頑張ったら少し休む人生を送ることはできるだろう。
活動しすぎた身体
 高校生になった私はひたすら遊んだ。勉強そっちのけで、部活だー委員会だー国際交流だーと好きなことを満喫していた。身体をたくさん使い、頭は程ほどに使う。心が揺れたら仲間に支えてもらってなんとか乗り越えた高校時代。看護学校に進学して、私は自分の勉強のできなさに愕然とした。努力しただけの結果が伴わない、何てことだろう!私はこの時はじめて落ちこぼれ者の気持ちが分かった。評価されることにびくつきながら、ひたすら毎日を突き進む。精神科ナースになるんだ、という想いだけが、私の身体を支えているのだった。
 私は就職し、希望はさておき内科ナースとしてデビューを果たした。せかせかと動き、少しでも先輩の足手まといにならないようにと頑張る私。でも誰にも本音を言えず、自分自身の辛い気持ちに蓋をしていた私にはとうとう限界が来た。仕事が終わって家に帰っても、耳の奥でナースコールが鳴り響く。四六時中仕事の事が頭についてまわる。もう無理だ、身体は悲鳴を上げ、私は上司に give up 宣言をした。休みをもらった。でもその休みとは永遠の休みという意味なのであった。「うつ病のナースは何人もいるけれど、統合失調症のナースはあなたが初めてなので無理です」と言われ、退職を強要されたときの無念さを、私は忘れない。活動しすぎた身体は、頭と心を引き連れて療養生活へと入って行き、中途半端な回復で無理をすることを繰り返していくのだった。

眠らせられた頭
 私の頭はメジャートランキライザーによって、深い深い眠りにつき、そして少しずつ少しずつ目を覚まし始めていた。半分以上眠っている頭、大部屋という社会に出て、病棟という荒波にもまれていく。でも私は順応という言葉を拒むかのようにひたすら眠り、現実から逃げた。心は回復を待っていたかもしれないが、コミュニケーションが上手くとれず、宙をさまよっていた。頭は考えることを嫌がり、夢見ることばかりを求めた。目を閉じれば一面に広がる世界。夢の中で私は泳いでいた。泳いでどこかへ必死に行こうとするのだが、世界は終わらない。泳いでも泳いでもたどり着けない。なぜならば目的地がないからだ。私は混乱して泳ぎ疲れて、いつも現実に引き戻されるのだった。
 夢の中では一歩も先に進めない。現実では生きることを嫌がり、夢へ逃げる生活。私は私自身を生かす術を忘れつつあった。何のために生きているんだろう。何のために生きてゆけばいいのだろうか。分からない、私はいない方がいいのに。
 私は退院した後は毎日、死ぬことばかり考えていた。死に至る病とは絶望である―まさにその通りだった。しかし月日は平等に流れ、秋が来る頃には死にたい衝動に駆られることは少なくなり、勉学に励む日々となった。
 私は高校に行くんだ、という確固たる想いが生きていく糧となり、命をつないだ。その後は、農業高校の園芸科に入り、私の頭は眠らせられることを拒むようになり、高校1年の冬、通院を終了した。
押しつぶされた心
 中学3年の夏休み、私は何の答えも見出せないまま時は過ぎた。私の中で生きることと死ぬこと、どちらが良いのか分からないため、心は宙ぶらりんになっていた。何が良いことで、何が悪いことなのか、世の中の価値観が私には全く分からず、世間体とか常識という言葉に憧れを抱いてみたりした。
 私は中学3年の夏休み、アメリカの家庭にホームステイする機会に恵まれた。英語のテストではいつも満点に近い点数を取っていたが、いざしゃべるとなると私はほとんどしゃべれなかった。何でテストはできるのに、私はこんなにもしゃべれないのだろう…今なら分かるが、私には独特な思考回路があって、気楽にひとことふたこと話すことができない人間だったのだ。
 普通の人ならば、目の前で転んで泣いている子供がいたら、「大丈夫?」と言ってあげるだろう。でも私はそんな一言がかけられず、黙ってティッシュを差し出すタイプの人だったのだ。私は常に考えていた。何かを発言する前に良く考えてみる。だから考えすぎてしまい、とっさのひとことが出ない子だった。私は考えて考えてとにかく考えすぎて、頭でっかちの人間になっていた。
 ある時、私は心揺さぶられる出来事があった。今までギュッと辛くても押しつぶしていた心の蓋が開いてしまった。私の中の気持ちBOXは次から次へとあふれ出し、収拾がつかなくなった。私の心は様々なことを感じ、頭で色々と考え、身体を動かそうとした。でも私の頭は考えすぎてオーバーヒートしてしまい、もう動かせなくなってしまった。私は倒れた、限界だった。中学3年の2月、私は発病し、私の頭は一度死んだ。心と身体は荒波の中、生き続けていた。
夏の思い出
 思えばいつも私は暇だった。何して遊ぼう…いつも時間はたっぷりあった。私は友人がいた時は一緒に遊んで、楽しい思い出ができていた。でも私は孤独だった時、暇な寂しさを埋めるため、勉強をした。小学5年の時に今の土地に引っ越してきて、やることがなくて勉強ばかりしていた。病んでいたと思う。でも中学生になって、部活でバレーボールをするようになって生活は一変した。
 暇になるといつもバレーの事を考えていた。バレーか勉強かで埋め尽くされていた中学時代。中学3年の夏にバレー部を引退すると、私は勉強しかやることがなくなった。私の中に潜んでいた病は暴れだし、私は勉強することを止められなくなってきていた。
 中学3年の夏、私は自転車で旅に出た。ペットボトル片手にぐんぐんこいでずい分遠くまで来たものだった。帰りたくない、でも帰らなきゃ、どこか遠くへ行って消えてしまいたい…そう思っていた。
 ある日、母と映画館で「もののけ姫」を見た。アシタカがサンに「生きろ」と言った。そのひと言で私の心は揺さぶられて涙がとめどなく出てきた。生きることに対して後ろ向きになっていたあの頃、私は私の寿命の終わりが近付いているのに気付き始めていた。
へたばっています
今日も暑かったです。
朝起きて、すぐにクーラーを入れてしまいました。
6時起床、まず朝ごはんを食べて寝ます。
そして起きたのが13時ごろ。
昼食をガッツリ食べて、また寝ます。
夕方、母が息子を連れて家に来てくれて、少し遊んで、やっと目が覚めて起きました。
とにかくだるくてしんどかったです。
今日は一日何もしないで終わってしまいそうです。
さっき洗濯したくらい…掃除もやろうやろうと思いつつサボってしまった。
何だかへばっている今日、原因を考えてみたら、ブルーデイだったのです。
多分ブルーデイだからこんなに眠くて疲れやすいのだと思いました。

それに今日は過食してしまいました。
何だか満たされない感じがあって、昼食にごはん2杯にプリン、プリッツ、クッキー、まんじゅう…色々としこたま食べてしまった。
後からお腹が苦しくなって、あんなに食べなければいいのに…と後悔しました。
でも薬の副作用で知覚変容発作は起きなかったので、良かったと思いました。

暑いけれど、何かしたい!
楽しい何かを…
早起き
今朝は4時半に目が覚めました。
部屋の片づけを少しして、ゴロゴロしながら新聞を読んでいました。
8時くらいになって、天気が良いから布団を干して、部屋の掃除をしました。
朝食はトーストとヨーグルト。
野菜がないから良くないですね…仕方ないです。
午前中はサイクリングで少し買い物をしてきました。
とても暑くて、サウナにいるような感覚です。
帰ってきて、クーラーをつけました。
少し昼寝でもしようかと思います。
仕事は入院中なので休んでいて、今週金曜日まで自宅へ外泊です。
平和な時間が流れています。
薬が自分に馴染んできたような感覚がします。

私の誤り
私はおごり高ぶっていた。
自分が看護師になれて、それなりに働けているから。
自分は一生懸命薬の調整をして頑張っているから、人並みなんだと。
働けない人たちは努力が足りない、とまでは言わないが、やはり甘ったれている部分があるのだと、悪いけどそう思う気持ちがどこかにあった。

でも自分が再発してみて、今後の働き方を考えた時、今まで自分が間違っていたと思った。
私は育児に家事に仕事、どれもきっちりこなせる自信は全くない。
現実的なプランといえば、仕事は半日のパートになる、賢いやりくりをする兼業主婦になる、保育所の送り迎えは旦那にやってもらう~まあ、そんな所だろうか。
パートになったら、働く時間は正職員の2分の1でも、収入は3分の1にも満たない金額になる。
待遇は悪くなるし、稼げないからもどかしいけど仕方ない。
リハビリのために働けるのだと割り切って、結果は求めないこととするか。
そして足りない分は障害年金2級でも申請してみるか…悩ましい所だ。

「薬は頑張るために症状を押さえるために使う」これは大きな間違いだ。
「薬は症状を緩和してゆっくりと休むために使う」これが正解。
薬を飲みつつ頑張ってはいけないのだ。
薬を飲んだら、一旦横になってゆっくり休む。
そして症状が取れて楽になったら、また頑張る。
その繰り返しなのだと思う。
私は薬依存症のように今は薬に頼りきっている。
でも徐々に減らして、今までのようにやりがいのある仕事がしたいし、実家に預けている息子とも一緒に暮らしたいです。


ロドピンのなせる業
リスパダール 1㎎3錠
コントミン 12.5㎎2錠
タスモリン 3錠

べゲタミンA 2錠
 
上記処方にて入院生活を開始した。
しかしイライラが募り、衝動行為に走ったため、

ロドピン 50㎎2錠と25mg1錠が追加になった。

ロドピンを飲み始めて実感したのは、
今まで頭の回転が速すぎて、周りの世界との調和が取れていなかった、しかしロドピンによって今は頭の回転が人並みに落ち着き、コミュニケーション時にイラつくことがほとんどなくなったのである。
不思議だった。
こんなにも薬によって、気の持ち方が変るとは…

現在は副作用を軽減させるために、
リスパダール 1mg2錠
コントミン 12.5㎎1錠
ロドピン 50mg1錠 25㎎1錠
レキソタン 2㎎1錠
タスモリン 3錠
…と若干減量して経過を見ている。

①強烈な眠気と脱力感
②午後にそわそわして目が上を向いてしまう感じ
その2点が辛い主なことなので、それらが改善傾向を示せば、退院できるかなと思っている。
ロドピンはとっても私に合っている薬だけれども、さすがに125㎎は飲みすぎだったんだなと思いました。
少しずつ減量して、薬物依存状態から抜け出したいなと思っています。
久しぶりの外泊。
体調、ボロボロです。
疲れきっています。
予想外の入院生活を送っています。
でもいい勉強になっているかな。
多分、スタンダードな9月ぐらいまでの、約3ヶ月間の入院生活になりそうです。
多くの人と出会い、交流し、考えて解釈する。
自分の気持ちに真っ直ぐになること。
自然なありのままの自分でいること。
そんな事の大切さを実感している日々です。
また外泊する時には、登場したいと思います。
ではでは、また。